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2012年9月 7日 (金)

反自然の原発

20120830163332  前回紹介した著書、『叙情と愛国』の内容は、「自己の痛みはわかっても他者に与えた痛みについては考え及ばないということ、これが日本の悩みあるいはアジア全体の苦しみであり、悩みであるといわねばならない」(p125)という一節を引用すれば事足りるであろう。竹島・釣魚台で対立しているようにみえる日韓・日中問題は、問題にすらならない。人々とは一切関わりのない問題に過ぎない。根本は日本は戦争責任を果たしていないということであり、碌でなしのナショナリストが騒ぎ立てているに過ぎない。国家や政治家、政治評論家を含む政治フリークなど信用してはならないのである。これに追随する国民の存在も無視できないのではあるが、畢竟、欲望と妄念に執着しているに過ぎないのである。「何一つ決定できない」のではなく、「何一つ責任を取らない」ことが日本の腐敗を醸成しているのである(どうやら、東京、愛知、大阪、神奈川、千葉などの人々は、おのれの腐臭に気がつかないようである)。福島の原発事故でも新しい事実を隠蔽している。今でも放射能は放出して被害が拡大していることを誰も告発していない。東日本大震災の時、一瞬日本列島は終るという思いが去来した。そして、原発事故を現認して、本気で西日本への家族避難(一家移住)を考えたのであるが(県境の高い山並みが放射能を遮蔽したと思われる)、基本的に関東や東北南部には出向かない(息子には絶対行かせたくない)。そこで居住する人の気持ちが分からない。ましてや、(酷なことを言うようだが)、故郷に帰ることができると夢想する福島の人の気持ちは分かるが、分からない。国家によって棄民されたのであり、その怒りは風評被害に向けられるのではなく、国家(の原子力政策)に向けられるべきである。水戸巌氏のよれば、「原発の中には死の灰が大量につくられる」という一点で認められないということである。人類に対する挑戦であるばかりでなく、反自然である原発を絶対に許してはならないのである。
 

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