« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »

2012年6月

2012年6月25日 (月)

軍隊化する(信州)教育

20120611165206_2  鍬一丁で新天地の畑を開墾。以前の畑は、隣りの貸主がやたらに除草剤を散布するので取りやめる。郭公の声を耳にしながら汗を拭い、手を休めて川中島平を一望するのが快い。できるだけ自然のままに、そこに人知が補助する農業が理想なので、貸主の眼差しが余りない当地を選んだ次第。山際で、水利は余り良くないが、広さが適当なので引っ越すこととした。

32736804_2  昨夜は嫁さんと会話していて、気にかかったのは、信州教育は軍隊化しているのでないかということであった。彼女は「仕方ない。時代の趨勢だから」ということであったが、イマイチ得心しなかった。「信濃の国」斉唱がなく、国歌斉唱が強要される。息子は毎日6時過ぎに起床し、朝練(早朝練習)や朝勉が当り前になり、朝寝坊の自分からしたら熟睡を妨げる(笑)。それに、毎日朝食を準備する母親からしたら(信州では共稼ぎの家庭が多い)迷惑この上ない。これではモンスターペアレンツになるのは仕方がないのではないか。いえいえ、確かによく遅刻し、よく忘れ物をした怠け者であった自分だから文句を言っているのでありませんが(笑)、自主性を阻害しているのでないか。朝練も、校内をランニングやトレーニングするというのだが、するのだったら校庭でやれーと思う。「一斉授業」「無言清掃」というのも解せない。会話や議論や喧嘩を禁止して、上から道徳的な「心の教育」(ex.水からの伝言など)を強制されるのも異常である。問題生徒を排除する単線的な教育や徳育など消えてなくなってほしい。はみ出す子供たちが必ずいるからである(自分がそうだったから。笑)。そもそも社会そのものがそうだからである。常に社会の影響が及ぼす学校で、純粋培養してどうなるものか。それが上からの情緒的な考えばかりが跋扈して(そのために極度のストレス社会になっている)、今の日本社会の停滞と自壊になっているのではないか。疑念は増長するばかりである。先生が管理され学校教育が過大で異常ならば、家庭で矯正するしかない(これ参照。岩澤さんのご冥福を祈ります)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年6月22日 (金)

田植え(植付け)半作

20120617121626  植え直しが終了致しました。ために、このところ足腰中心にどっしりと疲労が蓄積。歳取ったなあ~、という感慨である。半農なので、無(化学)肥料・無農薬に挑戦したいのは山々なのであるが、生業が繁忙なので暫らくはお預け。畑も無料のものに借り替えたが、何も播種も苗植えもしていない。耕作途中。中途半端・怠け者農業である。といっても農業委員会認定のれっきとした農家であるが、精農の人々の蔑視を尻目にマイペースである。
 植え直し 終えて信濃の 飛行雲
 こんな俳句が思い浮かんだが、おそらくこの飛行機雲は米軍機のものと推察される。
Img_news  北アルプスから直角に折れて妙高、志賀高原を通過するのである(信濃毎日新聞6月21日斜面)。在日米軍の訓練ルートが山谷を駆け巡っており、日本の制空を領しているのである。沖縄ではオスプレイの普天間に続き、嘉手納配備ということで、県民は怒りの反対運動に立ち上がっている(地図を参照して、赤線の意味を考えてもらえたい)。このことは決して忘れてはならない。訓練には標的があるのである。制空権を引き渡したまま、いつまでも戦争を引き摺っていていいのか。消費税増税も、言ってみれば戦争経費捻出のための戦時体制構築の一環と言えるだろう。暗澹とした日々の中、庶民のしょぼしょぼとした生活を営むのみである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年6月11日 (月)

『団塊と介護』

32590831  65歳定年であれば、今年を含めて、後3年は団塊の世代(1947~1949年出生)が大量に高齢者の仲間入りになる。したがって、おのずと医療・介護問題や年金問題が大いに浮上している。いわゆる「2012年問題」である。そこで消費税論議がかまびすしくなる。いわゆる財政問題である。財政問題は留め置いて、この本では、団塊の世代の介護問題を注意喚起している。日本は既に、2007年には超高齢社会に突入したと推計されている。いわゆる急激な少子高齢社会である。これが原発や消費税アップの議論や他の芸能・スポーツ情報などで、ほとんど報じられることが無くなっている。著者の狙いは、介護における「心」や「生き方(老い方)」である(p8)。団塊の世代が介護難民にならないための方途を伝授しているのであるが、それが「高齢者(自身)の自助・互助・共助」(p209)である(個人的には、p63~p82の老人の心理の記述が最も興味深かった)。その準備が必要と呼びかけているのである。今や、国や地方公共団体に頼るべき時ではない(かといって、それらの責任を追及しない訳ではないが)。むしろ、それらは恃むに足らず、と決断する時なのである。行政は自ら大赤字を創出し、その責任を人々に押し付ける時代だからである。原発再稼動と消費税値上げについて、先般、首相は国民の生命と財産を守らないことを宣言した(6月8日首相会見)。と同時に、国民に対して恫喝政治を開始したのである。「生活に支障をきたしていいのか」、「財政はどうするのか」、「福祉は成立しないぞ(介護難民になるぞ)」、「年金は貰えないぞ(元々、年金は貰うものではなく、権利なのである)」と。財政赤字など、国民に奉仕しない政治家や官僚どもが作り出したものにすぎない。大嘘つきであるばかりでなく、脅かしながら人の懐に更に手を突っ込むという所業は、ヤクザ顔負けの仕業としか思えない。また、そんな政治家、政治屋や官僚、棺陵どもなんて要らないのだ(野田)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年6月 1日 (金)

ボランティアの感想1

201205191200571  このところ、仕事の繁忙と体調不良などが重なり、ブログ更新がままならない。雑念と妄想が錯綜するが、肝心な気力が伴わない。齢をとったのだろう。仕方がない。東北支援は、現段階、生活支援が直面しているということを実感した。住宅の二重ローンということもあるが、仕事がなければローンも支払えない。人々は更なる収奪が待ち構えているが、はっきり言って、これは数千年にわたる日本の構造なのである。「がんばれ、東北(ニッポン)」というスローガンほど空しいものはない。何をがんばれというのか、というそもそもの疑問がある(もっとも最近はこの標語もないので、これの偽善が明白である)。政治の関心は、愚かどものお陰で東北大震災は遠い過去の事柄・事例になったのである。ボランティアは減り、行政主導になっているのである。震災について、東北論、原発論、ボランティア論などについての私見があるが、これは当面さておく。道中、目を凝らして風景を眺め続けた。東北自動車道を際限として、沿岸側は草木の生い茂るにまかせて、山側は水田と東京もどきの市街地が広がる光景を目の当たりにした。宮城県庁は、勿怪の幸いとしているのだろう。宮城県の農業は、ササニシキの敗北に続いて、農業の衰退に向うだろう。漁業は況や、という思いである。見上げるような、居並ぶ県庁や市庁舎を眺めながら、ここにも時代の風潮が主流なのだと思った次第である。何も変わっていない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »