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2012年3月13日 (火)

新村忠雄のこと

32659971  小説だが史実に則して纏められている。小説としては、史料が限定されているために想像力で補われるべきであるが、ルポルタージュ・人物伝としては新村忠雄の人物像をたどることには不十分であると思う。固より、幸徳事件(大逆事件の一つ)が冤罪であることは言うまでもない。「当局は一人の無政府主義者なきを世界に誇るにいたるまで、あくまでその撲滅を期する方針」(p145)だったのであり、国体(天皇制)護持のためのフレームアップ事件であることは、今では周知となっている。しかしながら、戦後になっての再審請求に最高裁は抗告棄却し(1967年)、それが判例となって彼らの名誉回復はなされていない。戦前・戦後を通じて、反戦運動や社会改革(革命)運動に挺身した人々への名誉回復と畏敬が未だになされていないのである。それがいかに社会と人々のありかたに害悪をもたらしているかは、歴史を繙読したり、現状を瞥見すると判然としている。今日の日本の動揺がその証左である。そればかりでなく、政府の無能と人材の払底という現実があり、そうした世情と人物が跋扈している。幸徳事件の時代、石川啄木や永井荷風をはじめ、多くの人士が「厭な心持をし、良心の苦痛に堪えられず」(p188)、その義憤を石川啄木は『時代閉塞の現状』にしたためたが、時代の波にかき消されてしまったのである。著作では、より新村忠雄を追い求め、その生い立ちと思想的確信と言動に肉薄してほしかった。新村への「大言壮語」という人物評価(p73、175)は誤解であると思う。むしろ、荒畑寒村の評価(p73)が至当であろう。昨年は大逆事件(判決・刑死)百周年ということで、上梓が急がれたためか、不明な文脈が数箇所散見されたが、彼らの名誉回復のためにもその意義は決して少しくない。

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