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2012年2月

2012年2月22日 (水)

農村青年たちの怒り

32686245 農村青年社事件は、狭義の定義では、1935年に検挙者300名を超えた昭和最大のアナキスト弾圧事件のことである。この事件が、思想検事や特高刑事たちの功名心からでたフレームアップ事件であることは、この本の中で余すことなく明らかにされていると思うが、問題は、「マフノの末裔」と称される彼らの歴史上の意義である。単なる「飛んで火に入る夏の虫」(p180)であり、権力側の野望に巧妙に利用された事件に過ぎない(p183)のか否かである。著者によれば、事実、この事件の本質は国家権力によって「格好の標的として利用された」(p299)と結論するのであるが、その一方、彼らの「農村改革運動は、革命運動としてではなく、人間の生き方としての訴えをもっていた」として、単に「歴史上の抵抗」(p300~301)運動として切り縮められてしまっているのである。だから、彼らの「自給自足」「自主自治」の理想は、どう評価されるのかは、サブタイトルの「昭和アナキストの見た幻」の一言で集約されている。確かにこの時代は、ファシズムが農本主義を手綱にしながら、農業恐慌に喘ぐ村落共同体をも体制に強行に組み込んでゆくものであった。同時に、共産党や労動・小作争議を弾圧する事件が頻繁で、壊滅してゆく過程であった。それがアナキスト運動にまで波及していたのである。理想がなければ運動や思想は根絶やしになる。彼らの思想的・組織的脆弱さは彼らの歴史的意義を低めてはいない。だから、彼らの試みを、「個人的信条としての思想はありうる、つまり自立する個の支えになる理論が含まれている」(p318)という評価では事の真相を明らかにしてはいない。なぜならば、自立は真空の中で形成されるものではないし、体制の唯物論的基盤は一向に改変していないし、そのような見解は逆に、彼らの企図が権力との共犯関係を疑う素地を醸成してしまうからである。二重の意味でのフレームアップとまで考え及んでしまう。南澤袈裟松はこう答えていたという。「君、あの時代の農村は本当にひどい状態だった。志のある青年なら誰もが社会改革に起ちあがらなければと思った時代だった」(p253)と。時代に抗して闘った彼らの所業を個人的な信念に留めてはならないのである。歴史博物館の中に閉じ込めてはならないのである。ちなみに、彼らの仲間の中には、自分の出身高校の先輩も名を連ねている。

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2012年2月20日 (月)

時代の伏線

20120206112604  他の猫がテリトリーに侵入してきたので、かなり緊張して凝視しています。いつ果てしなく対峙して睥睨しています。左目が恐いです(笑)。見たところ、牝猫のみがこうした動作をするように思えるがどうだろうか。こうして観察していると、やはり猫には猫独自の世界が存在するのが理解できます。人間の世界ほど邪悪ではないのですが・・・(笑)。

20120211190144 知り合いから自家栽培の柑橘類を混合して送ってきてくれた。糖度が不十分だが、手作り感とその甘酸っさが嬉しい。話題は全く異なるが、小学生の折、家に保管されていた古びた写真簿を繰って眺めていると、そこに見知らぬ男性の姿を見止め、母に誰何したことがある。確か、「満州かどこかに行ってどうなったか分からない」という返事であった。その口調から身内の者であることが知られた。同時に、人の消息がつかめない時代ということがあるのだな、という思いをおぼろげに抱いたものである。戦前は、恐慌や不況が続き(その突破口が戦争の原因となったのである。特定の人物や思想のみで戦争が生起するものではなく、歴史研究者の中には誤解する者が少なくない。と言って、その責任を曖昧にする訳にはゆかないが)、家督を継ぐ長男以外の子女は、分家に出るか、都会に出て労働力商品となるか、大陸に新天地を求めるしかなかった時代なのである。今の時代では信じられないことなのだが、窮乏、借金、身売り、自殺、家庭崩壊、夜逃げ、一家心中、労働争議、小作争議などが日常茶飯事だったのである。これが明治から昭和初期の時代風景であり、農村青年社事件の伏線である。  

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2012年2月17日 (金)

「共犯」か否か。

20120204085443  このところ、関心のある分野の書籍が次々と発刊されている。『百年後の友へ』や『農村青年社事件』等である。大逆事件や農村青年社事件などは、明治から昭和初期の日本帝国主義の動向と本質を捉える上で重要な事件である。特に後者は、数年来、筑摩書房のPR誌「ちくま」に連載されていた頃からの関心であり、南澤袈裟松という人を断片的に記憶していたからである。今、その本を開いている途次であるが、著者に限らず、彼らと国家権力との「共犯」というスタンスが垣間見れて、読み進めて引っ掛かりを覚える。彼らは、長野県に多くの活動家や支持者が輩出された「全国的な農民運動として、歴史的には農青イズムと呼ばれた革命的地理区画を全国に樹立した具体的で実践的な農村青年社の運動」(Wikipedia)であり、1935年に武装蜂起の疑いで一斉検挙された事件である。これが彼らの歴史的功名心と権力による検事の功名心との共犯ではないか、という批判が根強いのである。このことについては読了後に考察したい。『農村青年社事件』は、毎日新聞や信濃毎日新聞などの書評が最近続いている。

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2012年2月11日 (土)

自然と人工

20120127160115  例の季節(繁殖期)になって、わが家周辺は俄かに意外な人物、否、猫物が出没するようになった。賢い読者は既知のことだろうが、わが三毛猫は牝猫である。画像の猫等が餌のためだけに進出しているのではないのは明白であろう。戦闘態勢然としてねめつけるこの猫は、時々遠くから三毛猫の様子を窺っている。また、豚のような野良猫然とした他の猫も、顔面に病気と戦闘の傷を負いながら対峙している。

201202101809361  飲み会のために約十年ぶりに長野駅前に降り立ちました。どこにでもあるような駅前になりました。大資本ビルが並び立ち、裏通りは駐車場群の街並みになっていました。風情も歴史もあったものではない。遠い昔、通いつめた電気部品屋は跡形もなく、月並みな店舗が展開されていました。駅前は更に再開発されるそうですが、どうせ変哲もないものになるでしょう。設計やデザイン屋は斬新さが売りにしかなっていないようで、歴史の藻屑として消えるでしょう。住民もなく、無機質な空間だけが残るでしょう。県内資本の大書店に入り込んでいますが、やはり在り来たりです。企業は売上と利益を伸ばすことが至上命題になっていて、それにしか関心がない。何も買わないけど、書棚もほとんど関心がない。消えるのは恐らく自分の方だろう、と思いながら、そそくさと出て宴会場に向いました。小雪がちらついていました。

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