『ショック・ドクトリン』
とは云うものの、人は生きてゆかなければならない。『ショック・ドクトリン』では、フリードマンの新自由主義を根底的に批判する。曰く、それは「衝撃と恐怖」を駆使しながら、「三十年に及ぶシカゴ学派のあらゆる実験は、大規模な腐敗と、セキュリティー国家と大企業とのコーポラティズム的共謀の歴史だった」(p340)ことを明らかにしている。余剰資金は株式、通貨、不動産、穀物などの各市場を渡り歩きながら、常に危機と不安定を生み出しながら国家主権と人心を食い荒らす悪魔の思想なのである。格差の拡大や監視社会やグリーンゾーンを醸成して、「人口の25%~60%にも及ぶ国民を切り捨てる」(p590、645)ことに、世界の人々は漸く気付き始めている。にも拘らず、日本においては大手を振って闊歩している。日本に照準を当てているのかも知れない。アジア戦略に舵を切ったアメリカ政府の一環とも言えるだろう。イランとの二正面戦略なのだろう。財務長官が乗り込み、アメリカの意向を伝えている。「社会保障と税の一体改革」とは、社会保障を削減して財政再建と称して増税をし、中産・貧困階級から更に収奪する。と、こういう意味なのである。うつ病になど罹患している暇はないのである。Naomi氏は、「住民による自力復興」(p680)に希望を託している。精神的な掛け声ばかりの「絆」ではなく、「残り物(scrap)」を掻き集めて地域の協同性を創造することが必要なのである。国家など恃みにしないことである。
戸部のおたやで、例のように、小だるま二つと福飴を買い求めたが、家族の誰も飴を口にすることはない。口が肥えたのだろう。飴はもはやお菓子の範疇から外れたのだろうか。日本において、スナック菓子やアメリカ式のファーストフードが席巻し始めたのは、1970年代後半以降である。食嗜好が妻子と異なってしまうのはやむを得ない。ここでも市場原理主義は浸透しているのである。そうして、食と文化は改変しているのである。
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