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2012年1月

2012年1月25日 (水)

野良猫の思い

20120123150737  さびーにゃあ。氷点下ににゃる、信州の夕刻から朝方の寒さには、ホンマに身に堪えるにゃあ。雪はどうってことにゃいのよ。でも、この寒さは、牝猫として腰が冷えて大変にゃのよ。だから、ねぐらでじーっと丸くにゃってエネルギー消費を抑えているのよ。だから、時々運動不足で、前後に伸びをしている姿を見ているでしょ。にゃのにご主人さまってうるさいのにゃんの。ちゃんと餌をくれにゃいし、牛乳や煮干ばっかりやし、時々、小ネズミや小鳥を捕らえて栄養補給してんねん。この気持ちをご主人さまは全然分かってくれにゃいのだにゃあ。「ブチ、ブチ」にゃんて呼んでも振り向いてあげにゃい。この寒さでエネルギーを吸い取られ、少しダイエットしてしもうたがにゃあ。もっとちょっといいものちょうだいにゃあ。それに、ご主人さまは抱こうとしてすぐに捕まえようとしたり、近づいたり、恐くてたまらにゃい。だから、抱かれても「ぐるるる」にゃんてしてあげにゃいし、そっぽ向いたり睨みつける。もっと恐いのは近所の子ども。追いかけ回すから大嫌い。子どもは残酷にゃのよ。餌もくれにゃいし、恐いし、後は知らんふりやし。私かて生きものや、ってことがにゃんとも分かっていにゃい。私たちの曾祖母以上の時代には、人間さまも貧しかったので、私たち野良猫も不憫に思われていっぱい分け前を貰えたけど、今じゃ飼い猫しか餌をもらえず、そのブクブク太った姿は羨ましいやら、可哀相やら。野良猫にゃんか駆除の対象ににゃってしまったのだにゃあ。でも、人間さまも不景気と増税で大変で、同情してしまうにゃあ。駆除される人間さまがいるんやにゃあ。そんな人間さまが困ったら私たちもにゃんともにゃらにゃいので、やっぱり「Noだ(野田)」ににゃってしまうにゃあ。まあ、あまり考え込んでもご主人さまのようににゃるので、少しあちこちと遊んでいようっと。あのアホなご主人さまを、おちょくってみようかにゃあ。いひひ、だにゃあ。

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2012年1月23日 (月)

はんなりとした大阪

32270641  辺見庸が橋下大阪市長のことを「テレビがひり出した排泄物にしか見えない」と断じていることに失笑を覚えた(『美と破局』p119)。排泄物ねえ、それは排泄物に悪いやろ、とまで思う。排泄物そのものは健全な証拠なのだが、この人はもっと悲惨である。この人、どこまで行くんやろ、とまで心配になっている。いづれ使い捨てされるのは必至であろう。この人の人脈は、おどろおどろしい。本人もそのことは自覚しているのかも知れない。悲しい性としか言えない。この人を選んでいる人は、ほとんど妖怪である。だから、この私も大阪を逃げ出すことになったのである。日本人が経験した嘗ての戦争に、大阪人は大いに流れに棹をさしたことを自覚している人は少ない。大阪は、例の○○学会の最大拠点である。80万人の支持者がある。かつての革新勢力をほとんど簒奪している。コーメー党の候補者が独占する選挙区すらあるのである。それが差別や貧困とを梃子に人々を惑わし、古き世の大阪の生業を破壊し尽くしてしまったのである。この逆転に恐れ入る。カーネーションの地元がその勢力の一大勢力であることを知っている人は少ないだろう。「あんじょうしいや」という浪速ことばがある。元々の大阪の、はんなりとした風情はどこともなく消失しているように思われるのである。橋下で大阪が終らないことを願うのみである。

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2012年1月21日 (土)

浮生夢の如し

32617810  小熊氏の本をサクサクと読了すると、日がな一日眠りこける。体と脳が重いのである。そしておもむろに目覚めると、『一週間de資本論』を広げる。そんな自在な一日で終了する。体調は悪く、右ひざの軟骨が挙動の度に鳴る。もう齢を重ねたので、あちこちに衰えと故障が忍び寄っている今日この頃である。
 「夢はいつもかへつて行った 山の麓のさびしい村に」(立原道造)

 NHKの7時のニュースに見入ると、ダルのメジャーリーグ移籍を劈頭から6分間も流し続け、アナウンサーがにこやかな笑顔で報じている。そんなに一大事なことなのかと疑う。2012年も、人々にとって不遇な年であることを暗示しているかのようである。番組制作者が30代~40代になっており、リーダー待望の世論作りをしているようである。民放はお馴染みのひな壇芸能人が独占して意味のないグルメからクイズやお笑いで終始している。笑えない。疑うこともない彼らの思考がそうなっているのであって、それは何れしっぺ返しを喰らうであろう。老兵は消え去るのみである。また、李白が嘆息するように、浮生夢の如し、ということなのかも知れない。といって、しんねりむっつりしている訳にはゆかず、春に向けて準備を怠るわけにはゆかない。

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2012年1月13日 (金)

『ショック・ドクトリン』

32638125  とは云うものの、人は生きてゆかなければならない。『ショック・ドクトリン』では、フリードマンの新自由主義を根底的に批判する。曰く、それは「衝撃と恐怖」を駆使しながら、「三十年に及ぶシカゴ学派のあらゆる実験は、大規模な腐敗と、セキュリティー国家と大企業とのコーポラティズム的共謀の歴史だった」(p340)ことを明らかにしている。余剰資金は株式、通貨、不動産、穀物などの各市場を渡り歩きながら、常に危機と不安定を生み出しながら国家主権と人心を食い荒らす悪魔の思想なのである。格差の拡大や監視社会やグリーンゾーンを醸成して、「人口の25%~60%にも及ぶ国民を切り捨てる」(p590、645)ことに、世界の人々は漸く気付き始めている。にも拘らず、日本においては大手を振って闊歩している。日本に照準を当てているのかも知れない。アジア戦略に舵を切ったアメリカ政府の一環とも言えるだろう。イランとの二正面戦略なのだろう。財務長官が乗り込み、アメリカの意向を伝えている。「社会保障と税の一体改革」とは、社会保障を削減して財政再建と称して増税をし、中産・貧困階級から更に収奪する。と、こういう意味なのである。うつ病になど罹患している暇はないのである。Naomi氏は、「住民による自力復興」(p680)に希望を託している。精神的な掛け声ばかりの「絆」ではなく、「残り物(scrap)」を掻き集めて地域の協同性を創造することが必要なのである。国家など恃みにしないことである。

20120106130925 戸部のおたやで、例のように、小だるま二つと福飴を買い求めたが、家族の誰も飴を口にすることはない。口が肥えたのだろう。飴はもはやお菓子の範疇から外れたのだろうか。日本において、スナック菓子やアメリカ式のファーストフードが席巻し始めたのは、1970年代後半以降である。食嗜好が妻子と異なってしまうのはやむを得ない。ここでも市場原理主義は浸透しているのである。そうして、食と文化は改変しているのである。

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2012年1月11日 (水)

阿呆らしい

20120102212341  最近頓に思うのだが、世の劣化は著しいと思うのだ。政治や文化などのみならず、生活や習慣など日常生活までが、啄木の「時代閉塞の現状」と思われるので、ブログはもう止めて、完全な個人記録に変更しようと思っている。自省と、太宰治が言う「羞」を失っている世相には、完全に首を傾け、年末の「紅白」に見られるような、唯々利害と時間潰しの日々を送る人々の有り様を見ると、支配層のあり方のみならず、被支配層の恭順にも、開いた口が塞がらない。「紅白」などクダラナイ、としか言えない(なんで見なくてはならないのか)。だから一瞥するのみである。

20120102095139  可愛いにゃあ(笑)。猫はおもねらず、気ままなことがいい。餌は欲しいのだが、容易には人に近づかない。これがいい。でも、捕まえて胸に抱くと「ぐるるるる」と喉を鳴らす。なんで喉を鳴らすのかこれが知りたいのだが、これが何故か、未だ知らない。猫の性格が毛並みの色に支配されるという説は分かるのだが、これを解明する言説を聞かない。もっと猫の不思議を解明してほしい。身近なことを知らない人が多いのである。

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2012年1月 8日 (日)

御旅屋から八日堂へ

20120108091117  六日には戸部のおたや、今日は七草粥(八日ですが)を朝食で頂いてから、宝昌寺の八日堂へ足を運びました。ここは甲冑薬師如来が秘仏本尊として著名です(この辺りでは)。おたやでは、参拝客が100メートルもの行列をなしていて、一時間を要した。甘酒や焚き火担当の地区は、慣れていない新興住宅街の地区なので、威勢のいい声だしもなく賑わいが感じられなかった(地域の古老の弁である)。また麗人が受付にいて、甘酒はあくまでも無料だと思うが、ちゃんと小銭を置く台があって、タダでは気が引けた(笑)。男衆も焚き火をしているだけで、所在無げである。一方、八日堂縁日は人出がポツリポツリで、ゆっくりと参拝できる。但し、屋台がないので伴っていた息子には退屈に感じられたようだ。やはり両者とも、夜に訪ねるのがよいと思われる。しんしんとする夜気の中で、白い吐く息と甘酒の湯気が立つ境内で、祈らねばならない善男善女という風景は、現代ではすっかり消失しているのではないか。

20120102095208_2  愛猫は、真冬日の日々が続くのであるが、相変わらず警戒心も強く元気である。『ショック・ドクトリン』は下巻に突入している。上巻で分かったことは、我々は、「コーポラティズムによる大量殺戮の時代に生きている」(p180)ということである。ちなみに、コーポラティズムとは、「政府、企業、労組の同盟がナショナリズムの名において秩序維持する警察国家」(p119)の謂いである。しかしながら、Naomiのこの定義は、一般的なそれとは少し異なっていると思われる。

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2012年1月 1日 (日)

2012年賀正

2012_4  夜勤明けで疲労困憊。食べて入浴し、そして楽しみな、寝ることだけ(笑)。明日は洗濯と掃除。新年も関係ないという日常が続く。今年はあれをするぞ、という決意である。
 エネルギー問題が焦眉の課題である。石油から原子力へという流れは修正されるのか、それともピークオイルということを転機として、人類が生存の途を辿れるかという正念場に到達しているのだろう。もしも自分が異なる立場だったらこうするだろう、と思うこともしばしばだが、これはいかんともし難い。わが途を行くのみである。北海道の親戚から送られてきたもの、鮭の飯ずしと味噌汁を拵えて、淋しい一人夕食である。棲みついた愛猫にも新年の挨拶をしました。にゃーお、ぐるるる、と応えていました(笑)。今年も、この過疎ブログを宜しくお願い致します。早くお雑煮食べたい(笑)。

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