アメリカの本質
日本社会の10年後の未来を占うためには、現今のアメリカ社会を見よ、と主張する人がいる。確かに様相は似てくるだろうが、差異もある。「恐怖でがんじがらめの自由、負の連鎖にからめとられる公正、他人の心身までも規定してゆく多様性、空洞化してゆく民主主義」という転倒状況(逆説)を検分する新書であるが、余りにもオバマ大統領を持ち上げすぎである。イラク・アフガン戦争(殺人)を推し進める一方、ノーベル平和賞を平気で受賞するという大統領のダブルスタンダード(二枚舌)は、アメリカ自身が危機においては、早晩自滅の警鐘を鳴らしているというより他はない。元々アメリカは、啓蒙思想の顕現国家として創設されたが、実は先住民への殺戮と移住ということを前提に成立したのであって、理想と現実は果てしなく乖離している国家なのである。大戦によって資本蓄積し、その富を科学技術と軍事によって世界支配するあり方こそ、アメリカそのものの歴史だったのである。だから、海外のマスメディアは東日本大震災での東北民の対応を賞賛したのだが、むしろアメリカ国民の忍従に驚嘆したいくらいである。最近、プラグマティックである筈のアメリカ国民(p23)が、世界最大の経済格差に痺れを切らして「ウォール街を占拠せよ」(Occupy Wall Street)に決起しているのは至極当然なことである。アメリカの学問で流行っているものは、商学と法学と心理学と科学技術であると断言する者がいる(支配するには格好の学問群である。後の人間は、軍隊やブルーワークで従事せよということなのだろう)。ハーバード大学とMITはその泰斗なのであろう。自分の経験からすれば、アメリカ人と話をすると大抵面白くない。フレンドリーであるが根本的な質問に無知であるか、お手上げのジェスチャーをするのである。日本の愚昧な首脳陣は、TPP問題で、国民を埒外にして、こそこそとしかも真っ先に、アメリカの高官やロビイストと会合している。アメリカはあくまでも国益のために立ち動いているのであって、それは帝国主義としての規定性を揺るがすものではないのであって、この本の内容は参考程度に過ぎないと言えるだろう。ちなみに、Naomi Kleinは、その惨事活用型資本主義(Disaster Capitalism)を手厳しく批判している。また、Raj palは、アメリカの民主主義は「消費者の選択」にすぎない、と皮肉っている。
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コメント
ぼけなすさん、初コメントありがとうございました。
ダブルスタンダードは政治家の常とはいえ、それに踊らされる国民はたまったものではありませんね。
投稿: koyuri | 2011年12月13日 (火) 22時04分
コメント、有難うございます。
グローバリズムの思想とは、新・自由主義ですが、これは仮面を被った原理主義と思っています。破綻した思想を糊塗することからダブルスタンダードが派生するのだ、と思っております。
投稿: ぼけなす | 2011年12月18日 (日) 09時16分