« 2011年9月 | トップページ | 2011年11月 »

2011年10月

2011年10月26日 (水)

ヤワじゃない自然?

32251888  「「上から目線」の生物保護では、人類は生き残れない」とある。「上から目線」のそれとは人類にとってご都合主義の生態系観のことであり、自然は人間からは常に偏見をもって見られている、と言えるだろう。換言すれば、「人間は本能的に(r-戦略者ではなく)K-戦略者が優先する、安定した生態系に安心感を抱く」(p120)のである。「生物多様性」というスローガンは無意識のそうした偏見に彩られていることに留意しなければならない。尤も、食物連鎖の最高位に治まる人間が、自らの危険が及ぶような他のK-戦略者を容赦するはずがないことではある。往日、息抜きの家族サービスで京都市動物園を訪れたことがある。巨大な白熊に息を飲み、金網の中で同じ所作を繰り返す迫力に圧倒された。こんな動物に襲われたら人間はひとたまりもない。しかし、人間には進化した頭脳があった。ために、希少動物になり動物園に飼育されたのである。その一方、丸くて小さい動物は身辺のペットとなって愛でられる。随分と人間は勝手なものである。人間の血を吸う蚊は疎んじられる。この私も、この世で蚊は最も嫌悪する動物である(笑)。この本の著者によれば、中程度の攪乱仮説が容認され(p73)、人類に利益を与えてくれる生態系保存が支持されている(p157)。しかしながら、そのこととタフな生物種(自然はそんなにヤワじゃない)という主張との連関が分からない。多分、バランスという言葉が多用されているので、根底には楽観論が支配されているのだろう。しかしながら、その楽観論は、自然そのものと科学技術の進歩史観と資本主義の内在的な破壊活動によって裏切られることになるだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月17日 (月)

事大主義と○○主義

20111015081908  事大主義の流れが日本全体を覆う時代である。冬の到来を予感するが如く、遊びほうけているように見える猫も、塒(ねぐら)からソイソイと出現してくる有り様で、少し感心している。すっかり体躯も2倍以上にもなって、逞しくなっている(?)牝猫である。よく見ると、美人(美猫?)でもあるようで、黒の鼻先がワンポイントの可愛らしさを演出している。しかし、これはあくまでも人間側の感想であって、当猫には関わりのないことである(笑)。

32640681  この本は併読したもので、扱っている問題は重いのだが、長年思いつめている事柄なので、スッと理解ができる。キーワードは「事大主義」である。「事大主義という名の首輪をはずせ」(p150)というメッセージである。この程の大震災と原発事故を、彼は「第二の敗戦」(p10)と捉えている。文学的な感性と直感からの受け止めと言えるだろうが、これに加えてTPP締結は、その最期の仕上げとなるだろう。農業だけでなく、保険・医療や金融・郵政や教育・行政などが明け渡されることになるだろう。破滅に向っての日本の支配層やインテリ層の愚かさ加減が如実に顕在するだろう。新聞やテレビや雑誌などのマスコミがゴミ屑に投げ込められ、これでいい野田になるだろう。「狂っている」としか言いようがない。津波は何度でも繰り返されているのである。G20か何か知らないが、グローバリゼーションの世界史的流れの中で、世界経済が年に何回も首脳会談しなければならない程の心臓発作状態である。世界の破滅は近い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月11日 (火)

キリスト教の出発点

32611836  『聞いてください』というタイトルからして、とても謙虚な姿勢が感じられる。著者は、日本基督教団須坂教会員の一人で、1998年に胆嚢癌で天に召された「須坂のレイチェルカーソン」と称される人である。今次の原発事故を予見して、反原発を訴え続けた市井の人である。このような人を長野で育んだことを長野県人として誇りに思う。原発立地がないこの県で、人知れず運動を継続してしていた人の大変さは知る人ぞ知る、と言わなければならない。会員の高齢化で、坂田さん等が進めた「脱原発北信濃ネットワーク」が九月末で解散した、ということを「信濃毎日新聞」が10月10日の記事で報じている。これ程の事態であっても、まだまだ人々は被害者意識に留まっているのである。被曝した福島県も被害者意識のままと言ってもよい。加害者として意識化されるとき初めて原発の反人類性だけでなく、反自然性が意識されるのである、と言わなければならない。換言すれば、国・政府に何も恃むことはないと「断念」した時初めて、人は己の罪を悔いるとなるだろう。坂田さんは孫の心配から始まったのであるが、それが「命を大切にする社会」(p86)に昇華されている。坂田さんの教会復帰のキッカケは戦責告白でした。彼女は最も敬虔なクリスチャンと言わなければならない。全国の市民・住民運動のほとんどはキリスト教徒が端緒を担っている。しかし、ほとんどの牧師・神父を初め、クリスチャンはその「ささやかな声」を無視している。守るべきものもあるのだろう。しかしながら、一介のキリスト教徒をしても神を恃み、創造するべきこともあることを知らなければならない。なぜならば、いかなる奉仕よりも罪の自覚がキリスト教徒の出発点であるからである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年10月 6日 (木)

無気力な日々

20111004112023  私、しっかり生きているわよ、という自己主張する仔猫。煮干と牛乳しかくれないご主人様のご飯を食べたら、後は知らない。私の勝手でしょ、と走り回ってから、秋風が吹いてちょっと寒くて、藁の上で数時間丸くなって休んでいました。ご主人様は元気がないようで、家に閉じこもっている様子。調子が悪いので本でも読んでいるか、寝ているのでしょ。私、分っているのよ。

32632858  『介護のことば』をサクサクと読了し、『TPP反対の大義』へ。前著は再確認になったが、福祉への鋭い切り込みがなくなりました、というのが率直な感想。TPPはアメリカ帝国主義による仕掛けられた罠だ、というのが自分の基本的視点であるが、宝島社は全く異なる立場の新書を二点出版(これこれ)していることに節操を覚えないのだろうか。それにしても、山下某というのはどうしようもない輩ですなあ。農協に問題があるのは分かるが、農協を潰したいのは○○○○である。そのお先棒を担ぐ、煮ても喰えない根っからの官僚ですなあ。なんだか気が滅入る。3・11で全てが変わったという認識がない。息子の時代を案じてしまう。先月末日に稲刈りを終えたりなどして身体を動かしたり、仔猫の思うとおりに、寝ているか読書に終始する毎日である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年9月 | トップページ | 2011年11月 »