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2011年7月 9日 (土)

国家の暴力性

32383057 既にデジタル化したテレビを視聴している人は気が付かないだろうが、ウチの、どでかくて重たいブラウン管アナログテレビでは、「終了まであと○日」という文句が左隅にデカデカと常時表示されて、肝心な映像や情報を読み取ることを邪魔している。また、キレイなお姉さんが笑顔でデジタル化を促す業界宣伝や番宣などが繰り返され、この梅雨時期に鬱陶しいことこの上ない。既に、対応世帯は九割以上にかかわらず、ほとんど心理的強制措置である。これにはBSやCS視聴者を増やす狙いもあり、民衆の懐から飽くなき収奪を繰り返す有り様は、醜いまでにあからさまである。

 以前、この著者の本を読んだことがあるが、その内容を中学生向きに噛み砕いたものである。要するに、暴力は善くも悪くもないのであって、むしろ国家と人間存在はその上に成立するものであって(換言すれば、無くすことができないのであって、どう向き合うかということが大事である)、国家とは、富をめぐる暴力の行使の結果であり、権利をめぐる暴力的権利こそ国家の本質をなしている、という結論である。したがって、税金とは、「合法的な暴力の独占」の権利を得る国家が、国民に対して強制的に行使する収奪であるということである(農業に関していえば、資本主義国家は農民という存在を許せない、ということである)。しかしながら、建前としても、憲法に規定されている「国民の生命と財産の保障」(安全保障national security、13・25・29条)を放棄した今次の国家に対して、我々国民は何ら納税の義務などないばかりか、抵抗権を行使することができるということは言うまでもないだろう。

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