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2011年4月10日 (日)

自(被)爆国ニッポン

20110404114843  昔、高校に自転車通学していた道を歩んでみる。この道路には人家があった覚えが。農免道路が拡張され、今では車が引きも切らず行き交っているが、この農家の屋敷(北信濃では、農家の家とその土地を「やしき」と呼ぶ。決して「立派で大きい家」を指している訳ではない)に植えられていた梅の木が、花綻ばせている。が、往時の人影は見えない・・・。

 農地を汚染されて、生産の手を縛られた農民や、陸地(おか)から海へと漁労ができない漁師の無念は、いかばかりだろうか。生きる手段を奪われ、憲法で保障された働く権利をも国家と東電に剥奪されてしまったのだ。『昭和の歴史』4巻、十五年戦争の開幕を読み進めながら、リベラル・エリート達や民衆が軍部の謀略と暴走を、さして反対と抵抗もなく許容するばかりか、侵略戦争の後押しまでして犠牲と被爆を体験したというのに、なぜに同じことを繰り返すのかと嘆息する次第である。当時もそうなのだが、今次も、突如としてのアメリカ軍による「ともだち作戦」というのも奇妙である。おまけに、垂れ流されたACの広告や、タレントやスポーツ選手を始めとする「がんばれ、ニッポン!」という大合唱にも閉口する。もっと謙虚に、人知れず支援してほしいものである。東北人の堅忍不抜さには常々驚嘆している(ここにも日本人の気質が顕現している)が、震災を契機とする前後の見境もない国家ナショナリズムの宣揚には気が滅入ってくる。ちなみに、上記の本の最後で、故江口圭一氏は、①マスコミの責任、②軍国主義の教育、③日本人独特の同質的=排他的国家意識、と回答している。次回は、③について考察してみたい。

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