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2011年4月29日 (金)

さらば、忍従の歴史観

20110425173824  眠くて仕方がない。夜勤明けで10時間ほどまどろんでみたものの、頭が重く、一向に寝た気がしない。寄る齢の所為なのかも知れない。酔生夢死の人生に終ることだろう。農事をしなくてはならないのだが、体のだるさに加えて、朦朧として気力が湧かない。再び横臥するしかない。どうにもならない。

32495178 小学校以来教えられたのは、瑞穂の国と表現されているように、稲作中心の日本史であり、そこには稲中心の農業観が占有している。その最も象徴的な歴史用語は石高制である。石高制とは、収穫高を基準とした土地の公定生産高であり、いわゆる太閤検地によって確立して近世の幕藩体制の基礎となった税制である。大概すると、それ以前は租庸調制や荘園制であり、明治以降は地租改正である。この本によれば、BC1000年頃(縄文晩期後半)水稲耕作が長江から朝鮮半島を経て九州北部に伝播して、BC500年頃(縄文晩期)本格的に日本で始まり、BC100年頃(弥生前期後半)東北地方まで普及したということである。しかしながら、日本農業はこうした穀物としての一種であるイネの重要性はさることながら、畠作物や商品作物などの開発と生産、副業としての稼ぎもまた、もうひとつ大事な視点であるということである。実際、米を作っているだけで何千年も日本人は食い繋いでいくことができただろうか。魚を採り、家畜を飼育し、畠作もし、副業もして百姓は生きてきたのである。こうした視点は、柳田国男などの既成の農業観を改めるには重要な考察である。農地にはりつけにされ、苛斂誅求に忍従するという農業(民)観は徹底的に訂正されなければならないと思う(つづく)。 

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