ケニア人M君の想い出
突然ドアを叩いたのは、ケニアからの留学生M君だった。そう言えば、在日朝鮮人医学生のK君と、先夜、「ざっくばらん」という店に繰り出していたことを思い出した。そこは、毎夜、そこかしこの外国人留学生が溜まってくる場末のロック喫茶であった。日本人はほとんどいない。それもあって、フランクな気分で「今度遊びに来いよ」と声をかけたのである。外国では、来いよと誘われば招待と受け取るという。大抵の日本人は、日時を決めない限り社交辞令と受け取る。軽いカルチャーショックを受けたが、とりあえず、K君と共に花見を設定して、ライトに照らされた桜の下で宴会と相成った。酒の勢いもあって、当の私は民謡を朗詠し、K君は「イムジン河」を唄う。さあ、M君の出番。気が付くと、お隣さんはヤクザ屋さん。そう言えば強面が多く、粛々としたグループだった。いきなり、その中の若そうな男が、「(アフリカ人の局部を)見せてくれ」と言い出した。困ったことになったなぁ、と内心怯みながら、「ここは国際交流の場。そういう話は日本人として恥だと思う」と説得すると、頭(かしら)と思われる人が取り成してくれて一件落着。ヤクザ屋さんも含めて、ケニア人のM君の民族舞踊を堪能して、場は大いに盛り上がったのである。宴はまだまだ続いたのであるが、終ってみると、途中の酒屋で購入した一升瓶の濁り酒もビールも、スッカラカンになっていた。踊った上で、まだ素面(しらふ)状態。ケニア人もやるな、と思った。
酒の勢いもあって、ハチャメチャな宴会であった。1キロ半程の道のりを三人でフラフラしながら帰途についたのだが、ふと横を眺めると、ケニア人のM君はしっかりとした足取り。こちらは頭がくらくらする酩酊状態。川縁で、在日朝鮮人のK君は吐いていた。当の私は勿体無いので吐くことはなかった。M君のダンスにあわせて三人で踊ったが、道行く人は一瞥するのみで通り過ぎて行った。桜が咲く、肌に気持ちのいい季節だった。M君は、黒人ということで、大家も日本人学生も遠慮がちで冷たいと涙目で嘆いた。三人には共通点があった。K君は、日本人じゃないと意識していた。私もアルバイトで時間を取られて人間関係が少なく、勉学も遅々として進まなかった。K君とも、部屋を尋ねて、彼の才能と生き様に感嘆する仲にすぎなかった。M君も、白人留学生の中でも孤立しがちだったということだ。ケニアから東の果ての日本に、電気工学を学ぶために留学してきたのである。お互いに孤独だったことが暴発したのかも知れない。三人は歌を唄ったり、咆哮したり、夜の街を歩きに歩いた。遠くまで見通せるM君の視力に驚いたが、彼が無事に帰り道を案内してくれた。自分のことで精一杯で、バカ騒ぎするしかない自分の不甲斐なさを切なく思ったが、どうしようもなかった。若さの余裕の無さ、ということだろうか、今となっては三人は遠く離散してしまった。別れ際、お互いに握手して再会を誓いながら、ケニア人のM君はおもむろに口を開いた。”You're best friends” 恐らく、彼の孤独は三人の中で最も深く、その日の闇夜よりも深かっただろう。彼の幸せを今でも祈っている。(了)
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