百姓は「楽しい」?
稲刈りは終了しております。今年は平年作ということですが、品質は二等米が多いそうです。春の天候不順と夏の酷暑の影響ということです。結局、青米が多少ありましたが、全部刈り取ってしまいました。兼業なのでいつまでもという訳にもゆかず、青米がこれ以上成育するとも思われず、あとはバケツ稲の収穫です。刈り取ったはいいものの、雨続きで、はざ架け米は全く乾きません。本日になって漸くの晴天です。
息子もサッカー試合から帰り、手刈りをしたり、はざ架けのお手伝いをしました。その調子、よく腰が入っているぞ(笑)。感想を尋ねると、「楽しかった」とのことです。これは意外なことです。子ども時代の自分の感想とは全く異なります。田んぼ全体が手刈りということもあり、はざ架けや肥料撒きから麦の播種、さらに脱穀作業と目まぐるしく続くこの時期は、休日も遊ぶこともなく(秋の農繁休みがありましたので、子どもは貴重な労働力でした)、勤め人の休日を羨ましく思ったものでした。また、稲の葉先が頻りに当たって痒い思いもして、汗だくの日々が続いて、気の重いがしました。一家総出で働いても、年収が五十万余りしかならない現実がありました。そして今でも、米は販売にも回らず、自家消費する農家が多いのです。作れば作るほど赤字になるのが稲作なのです。百姓は「もうからない」。考えてみれば、有史以来何千年もの間、(ごく一部を除けば)百姓は儲かっておりません。これを二つの方法論で逆転する時代が到来していると見ています。それは次回以降に。
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