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2010年10月22日 (金)

農業の行く末

20101020183626  北海道の親戚から、ジャガイモの便りである。イモ類は苦手だが、嫁はんと息子は大好きである。これからのシーズンは、我慢が続く毎日になりそうである(笑)。しばらくブログの更新を怠っていたが、とにかく生きています(笑)。寝たり、読書したり、仕事(時々田畑の見回り)という単純な日々である。勿論、睡眠時間が最も長いのは言うまでもない(笑)。

20101019122510  新米を消費している。やや、美味いかな、という自己評価ですが、それが何か、不都合でも・・・(実はそれほどの味ではない)。少し刈り時が早すぎたかな、という悔いも残る。ある農家の人によると、「初めてにしては倒伏せずに上手く作れたね」と感心されたが、それよりも耳目を引いた言葉は、「農業は儲からない。家庭菜園ぐらいでやるのが一番いい」という農婦の嘆息だった。現業の人ですら後継を推奨しないのである。農業ブームということで、企業も個人も新規起業・参入の試みがあるが、その失敗に関する統計や記述は伝え漏れてくることはない。これには三つほどの理由があるだろう。資本主義の発展とともに、農業分野はその犠牲(労働力人口の溜池や収奪の対象として)になったということであり、今後もそのあり方が貫徹されるということである。この対策として、いかに自然のなかの農業が楽しいということを喧伝しても、儲からないことでは誰も従事して発展することはないだろう。このことの分析はほどんど皆無である。だから、必然的に農業を六次産業化する試みが招来している。しかしながら、既に開始されているその試みのためには、資金力や設備投資などが必要なのであって、その協業化が鍵となるのかも知れない。そして、農業は楽しくなくなった・・・、では本末転倒と言うか、元も子もない。それとも、農業は現体制では生業となりえない、という達観するか(農婦の溜息は正しくそれである)である。ジレンマは続いて、歴史は経過しているのである。ちなみに、神尾春央本多利明の『西域物語』)は、「胡麻の油と百姓は絞れば絞るほど出るものなり」という名言(迷言)を残している。

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