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2010年10月

2010年10月24日 (日)

夜逃げの時代

20101022154215  ひこばえが伸びています。今年の農事も終りです。お百姓は、自然の摂理のためにのんびりと終了しますが、日本の行く末には、中国のことも含めて、あれやこれやの評論と議論があるようですが、ほとんどは意味がありません。こんなんで進行するのやな、という思いです。今朝、近隣のゴミ掃除がありましたが、寝坊して出不足料が徴収されそうです(徴収することそのものが違法行為で、徴収人は犯罪人です!)。地域で生きていくためには、ここ信州に限らず、税金だけと思っている諸人がいるようですが、それだけではありません。とことん収奪される構造があるのです。地域で農業貢献があっても、それは評価されません。貧しいものがとことん収奪される構造があるのです。消費税の論議がありますが、肝心なことにメスが入ることはありません。この間、就職氷河期(1993年から2005年までの世代)の青年と話す機会がありましたが、彼の不満には生活の不安が言葉の端々に滲み出ていました。彼はとても穏やかな性格なので、それだけに逆に彼の世代の人達の恨みと辛みが感じられました。抜擢もなく、20代の無為の人達に引き継がれる無念の思いを聞くこともできました。持てる人が益々貧しいものから搾取・収奪する構造は変わりはないでしょう。だから、諦念するしかないのですが、それに踏み込んで、収奪されないための生活時代を庶民は志向するしかないと思います。福祉・医療のための財源論として消費税論議が喧伝されていますが、消費するのに何故税金が賦課されるのか、という根源的疑問に対する正当の答えがないのにも関わらず、更に消費税が福祉等に割り当てされていない冷厳な事実には、庶民はどうしたらいいのでしょうか。夜逃げしかありません。

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2010年10月22日 (金)

農業の行く末

20101020183626  北海道の親戚から、ジャガイモの便りである。イモ類は苦手だが、嫁はんと息子は大好きである。これからのシーズンは、我慢が続く毎日になりそうである(笑)。しばらくブログの更新を怠っていたが、とにかく生きています(笑)。寝たり、読書したり、仕事(時々田畑の見回り)という単純な日々である。勿論、睡眠時間が最も長いのは言うまでもない(笑)。

20101019122510  新米を消費している。やや、美味いかな、という自己評価ですが、それが何か、不都合でも・・・(実はそれほどの味ではない)。少し刈り時が早すぎたかな、という悔いも残る。ある農家の人によると、「初めてにしては倒伏せずに上手く作れたね」と感心されたが、それよりも耳目を引いた言葉は、「農業は儲からない。家庭菜園ぐらいでやるのが一番いい」という農婦の嘆息だった。現業の人ですら後継を推奨しないのである。農業ブームということで、企業も個人も新規起業・参入の試みがあるが、その失敗に関する統計や記述は伝え漏れてくることはない。これには三つほどの理由があるだろう。資本主義の発展とともに、農業分野はその犠牲(労働力人口の溜池や収奪の対象として)になったということであり、今後もそのあり方が貫徹されるということである。この対策として、いかに自然のなかの農業が楽しいということを喧伝しても、儲からないことでは誰も従事して発展することはないだろう。このことの分析はほどんど皆無である。だから、必然的に農業を六次産業化する試みが招来している。しかしながら、既に開始されているその試みのためには、資金力や設備投資などが必要なのであって、その協業化が鍵となるのかも知れない。そして、農業は楽しくなくなった・・・、では本末転倒と言うか、元も子もない。それとも、農業は現体制では生業となりえない、という達観するか(農婦の溜息は正しくそれである)である。ジレンマは続いて、歴史は経過しているのである。ちなみに、神尾春央本多利明の『西域物語』)は、「胡麻の油と百姓は絞れば絞るほど出るものなり」という名言(迷言)を残している。

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2010年10月15日 (金)

爽秋の日々

201010111137231  11日に4時間程を要して脱穀をしました。昔と比べれば、機械化による恩恵に浴して、むしろ準備と後片付けに時間が割かれるほどです。めでたし、めでたし。初めての米の収穫です。とりあえず、初挑戦は成功したようです。新米をお望みの方は連絡してください。ただし、味は保証しません(笑)。収穫量は、籾で500㎏余りだろうか。まだ目方を計測していません。

20101013104712  爽秋の 小途に響く 声二人

 紅葉mapleを見るために上高地に参上。こんなに晴れ上がって山容が美しい景色は初めて、とガイドさんの声が高揚していました。確かに、大正池の湖面に逆さ写影される焼岳には魅了されました。中高年(自分もその一人でもあるがcoldsweats01)や外国人が多い中を素通りして、黙々と明神池に向けて回遊しました。紅葉狩りには少々早いようで、黄葉ということでしょうか。穂高連峰が冠雪される下旬が見頃でしょう。帰路は乗鞍温泉spaに浸かりました。

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2010年10月 5日 (火)

神になる時代

20101005111156 最後のキュウリの収穫でしょうか。嫁はんも驚きの声を上げました。他の収穫もまだまだあります。自然の驚異は人の思いを凌ぎます。嘗ては、セイタカアワダチソウなどの外来種侵入の脅威をあげつらう風潮がありましたが、いつの間にか、それはアレロパシーの自家中毒の所為なのか、亡失されました。日本的自然と生物多様性については、この本にやや詳しい。ただし、動物の多様性についての記述はないので、その方面については不明であるばかりか、学術的な研究もないようである。

 テレビや新聞はほとんど見ない。ましてや、ネットサーフィンもしない。これが今の時代のトレンドと考えたい。分析としてしか見ない。自分の頭で考えない時代だからである。このブログでも、自分の考えは出来るだけ表白しないようにして、問題提起で終るようにしている。まともに考えたら発狂する時代であるからである。農業は、自分を維持する格好の生業である。自然に包摂される自分と自然に働きかける自分。そして、それも意識されなくされる事態こそが究極の望みである。しかしながら、それも許されることもない時代が到来するであろう。人間の傲慢が蔓延する時代である。換言すれば、神ではないのに人間が神になる時代である。

 

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2010年10月 1日 (金)

百姓は「楽しい」?

20100927171024  稲刈りは終了しております。今年は平年作ということですが、品質は二等米が多いそうです。春の天候不順と夏の酷暑の影響ということです。結局、青米が多少ありましたが、全部刈り取ってしまいました。兼業なのでいつまでもという訳にもゆかず、青米がこれ以上成育するとも思われず、あとはバケツ稲の収穫です。刈り取ったはいいものの、雨続きで、はざ架け米は全く乾きません。本日になって漸くの晴天です。

20100925171703  息子もサッカー試合から帰り、手刈りをしたり、はざ架けのお手伝いをしました。その調子、よく腰が入っているぞ(笑)。感想を尋ねると、「楽しかった」とのことです。これは意外なことです。子ども時代の自分の感想とは全く異なります。田んぼ全体が手刈りということもあり、はざ架けや肥料撒きから麦の播種、さらに脱穀作業と目まぐるしく続くこの時期は、休日も遊ぶこともなく(秋の農繁休みがありましたので、子どもは貴重な労働力でした)、勤め人の休日を羨ましく思ったものでした。また、稲の葉先が頻りに当たって痒い思いもして、汗だくの日々が続いて、気の重いがしました。一家総出で働いても、年収が五十万余りしかならない現実がありました。そして今でも、米は販売にも回らず、自家消費する農家が多いのです。作れば作るほど赤字になるのが稲作なのです。百姓は「もうからない」。考えてみれば、有史以来何千年もの間、(ごく一部を除けば)百姓は儲かっておりません。これを二つの方法論で逆転する時代が到来していると見ています。それは次回以降に。

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