自然とは何か?
お盆も終って、川中島白桃の収穫の時期です。熟した桃を賞味できるのは生産地ながらです(背後の枝豆は自作です)。お盆には、迎え馬(キュウリ)と送り牛(丸茄子)を作り、油味噌を丸茄子で挟んで蒸かした(川中島平では、蒸すことを蒸かすと言います)自作のおやきを仏壇にお供えしました。兄たちも協力してくれました。送り火や迎え火も焚きました。その昔は、白樺の皮ではなく、二毛作地帯特有の麦藁を燃やしました。麦藁は収穫後ということもあり、都合よく残っていたのであり、麦藁はパチパチと燃えて、祖先の霊も気が付きやすいことでしょう。晩秋には麦作にも挑戦したいと思っています。息子たちは今晩、猛暑日の九州から帰ってきます。あれやこれやの問題も派生し、解決に奔走しました。ブログの更新も忘れ、酷暑ということもあり、いろいろと考えることもあり、漫然と日々が過ぎました。大阪などの都会の暑さにあれば、心身ともに疲労困憊になったでしょう。田舎にUターンしてよかったぁ(笑)。
とは言うものの、自然はしっかり成長を遂げています。スズメ除けの網を田んぼに張りめぐらしました。自然とは何だろうか。農業(agriculture=大地を耕作すること)原罪説に誘引される衝動もあるが、現実的に原初の自然に還ることは不可能である。自然農法は自然農法ではないのである。だからと言って近代農法に組みしている訳ではない。この問題では、量義治氏の「自然と人間」の問題を参照されたい(『緊張』所収、1994年、理想社)。次回、このことを論じたい。
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