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2010年6月

2010年6月26日 (土)

自然農法の亜種へ

20100616185933  兄はサクランボの栽培に執心しております。そこで頂戴した果実です。息子の大好物の一つです。嫁はんと二人で一瞬に食い尽くされます。当の私は数個の食味しかできません。いやいやいや、サッカーsoccerの結果では読み間違えてしまいました。しかしながら、それを言えば、元々日本人のサッカーファンは、岡田ジャパンをこき下ろしていた筈ですが、いつの間にかそれも忘れて寝不足している人と比べたら、私の予想が外れたのはカワイイもんですよsmile。カメルーン戦が帰趨の分かれ目だったようです。この勢いであと1、2戦は勝利するかも知れません。息子は大喜びです。私はといえば、やっぱりテレビ観戦せずしっかり寝ていますsleepy

Ismfileget  朝早くcloud、補苗をしている私です。しっかり働いているなあsmile。勤務前なので、嫁はんが心配して迎えに来てくれた時のワンスナップですcamera。田畑のことは、『自然の野菜は腐らない』や木村秋則氏の著作などを参考にして、自然農法へと漸次移行しようと企図しています。彼らは少しく自然崇拝の気が感じられますが、それはそれとして取捨選択して応用しようと思います。慣行農法には疑問を感じているからです。自然農法とバイオダイナミック農法は、ここ十年で注目を浴びつつあります。それまでは有機農法に人気がありました。まだ未完成で普及していない農法でありますが、基本的には収穫量が落ちても、江戸時代以来の旧知農法を発展させることが目途です。それにアフリカ農法を加味しようと思っております。これを何という農法と自称しているかは、当面秘密です。どうなることやらsweat01

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2010年6月21日 (月)

認知症は病気か?

32383310 この手の本を読み始めると、その専門的知識に感心はするが、どうにも疑念が渦巻いてくる。基本的な疑問は、認知症は病気なのか、それとも関係障害なのか、ということである。この問いは、同時に、介護の世界に留まらない問題があるのではないか。 まず、病気とするのならば、認知病と規定すればよいのであるが、そう考える人はいない。この本でも、「認知症は心の病気ではなく、脳の病気です」と断定している(p26)。一般的には、認知症の原因となっている病名を、アルツハイマー病(5割)、脳血管障害(3割)、レビー小体病(1割)、その他(1割)とされている。ここで、認知症を病気と断定する場合、都合、二つのメリットがある。一つは、医学的アプローチができることである。大体の指示は、薬物療法(アリセプト常用)と身体の運動と脳の活性化のための療法と介護者の理解を求めることである(著者の記述も同じである)。もう一つは、これによって家族介護者も得心することである。ここで、再び疑念が沸き起こる。一つは、そのことが認知症の人々を社会的に排除すること(社会的差別)にならないかということである。もう一つは、認知症になる人とならない人がいるが、ならない人(65歳以上の高齢者の9割)についてはどう説明するのかということである。また、認知症の原因としては、脳の病変だけではなく、環境変化や人間関係や身体的障害などをキッカケになる場合もあり、複雑錯綜している。単純に医学的原因に集約されるばかりでは、真の理解はできないと思うのが介護現場の実感であろう。他方、認知症を、「老いていく自分を認められず、自然な老化現象や障害による機能低下、人間関係の変化などをきっかけとして生じる『自分との関係障害』である」と捉える人もいる(三好春樹氏ら)。むしろ、長年続いた関係障害が脳の障害を生じさせていると指摘する人もいる。そういう事例や病気と関係障害との関係を詳細に論議されることが期待される時期なのではないか、と思う。認知症が脳の病気であるならば、その原因であるアルツハイマー病などもまた脳の病気であるという説明では、トートロジーではないのか。したがって、「誰にでも必ず出る症状(中核症状)が記憶障害と認知障害(の二つ)です」とする著者の件(くだり)には(p28~31)、引っかかりと矛盾を感じてしまう。

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2010年6月16日 (水)

目眩しの状況

20100612064421  田植え体験をする息子。水田のトロトロ層の一角を、ズブズブと足運びをしながら手植えするのが楽しそうです。早朝の朝陽を浴び、日頃のサッカー少年の、こういう姿もカッコいいです。機械植えなので不揃いや抜けなどの植え直し作業を続けた数日でした。明日で仕上げて、一回だけ除草剤を撒きます(数年雑草が繁茂した耕作放棄地だったので仕方ありません)。

 ワールドカップでは、カメルーン戦で辛勝しました。とりあえず、息子のご機嫌が保てたのは良かった(笑)。サッカー界とサッカー少年の運命が懸かっているからです(野球はあまり好きではないので、より一層。夏場のナイター中継はウンザリする)。大雨のち快晴の中、今日は野暮用をこなす一日だった。あちらこちらに寄って人と話すのだが、概して、やはり、信州人は相手を褒めて楽しませるサービス精神に欠けるなあ、と思う。大阪人を見習って欲しい。建前やスジにこだわり過ぎて、話に花がない。要するに、面白くない。もっと人生を楽しんだ(楽しませた)方がいい。NHK連続テレビドラマである「ゲゲゲの女房」のセリフではないが、「そうくよくよせんと、ほがらかーにやっとればええんです」「楽しくやっちょればええんです」であり、主人公の「お金ないけど、あたし、毎日笑って暮らしとるよ」という言葉は、お父さんをして安堵させたのである。いいドラマであるが、赤貧の冗長は現代人の心象にマッチするのか、ちょっと疑念を覚える展開になっている。しかし、ドラマは突然やってくる。アリストテレスの演劇論のように、カタルシスの解消までの間延びが必要なのかも知れない。本田のゴールは、ある意味では、そういう展開になっている。日本人はこれに弱い。軽佻な鳩山内閣から変節の菅内閣へと推移し、コイズミ時代のような、官僚とアメリカとが領導する政治状況の再来になっている。なかなか我慢できない国民性なのである。それと気になったのは、何故、相も変わらず、日本選手は果敢に攻めたカメルーン陣営を賞賛し、栄誉を称えないのか。勝った時ほど、その人間性が顕著になるのである。だから、やっぱり、最後は負けるのである。

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2010年6月 7日 (月)

十五年戦争の原因

32285928  『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』というタイトルであるが、「それでも」という言葉の含意する前提がよく分からない。普通のよき日本人であった筈であるが、であるのか、それとも政治・官僚・軍部指導部が世界最高の頭脳の持ち主であった筈であるが、であるのか、あるいは、過去の戦争経験からの教訓にも拘らず、なのかということである。また、何故侵略戦争を選択したのか、という問いの回答が判然としない。だから、あれもこれも事項や資料を詰め込む受験勉強の時の歴史学習のようで嫌な気分になっただけでなく、エリート高校生を前に、誘導尋問のように論を進めるやり方にも嫌悪感を覚える。回りくどい日本人学者の典型であり、さっさと結論と論証を明示する合理的な外国の学者を見習って欲しい。難しいのは、考証と解釈なのであって、後者の学者はそのことに注力する。文献蒐集と文献批判という困難な課題に傾倒するのが学者というものであるという信念だからである。国権論や帝国主義そのものに戦争の原因を見つけたり、近代戦が総力戦であることに言及しつつ、軍部の戦略的ミスを指摘したり、エリート官僚が戦争と自覚していなかったとしたり、吉田茂や松岡洋右を再評価するのはいただけない。ところで、この本では語られていない問題がある。それこそが問題であり、日本人が十五年戦争を選択したのである。嫌々侵略戦争をしたのではなく、むしろ積極的に日本人は侵略戦争を選択したのである。

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2010年6月 6日 (日)

田植え完了

31115047  久しぶりの日曜の休日。嫁はんに命じられて、A・コープに安値の卵を買って、車のタイヤ調整をしてから田畑の様子見をして、あれやこれやと飛び回る。ちょっと合間に稲作の再勉強。それがこの本です。著者が実地を積んだ人かいな、と多少疑念がありますが、とりあえず。とにかく観察だ。それと近隣のおっしゃんの話と両親から学んだ自己の農業的直感である。また、こんな本も読んでいる。昨年のベストセラーですが、今頃になって予約図書の順番が巡って手にしていますが、期待に反してちょっとがっかり。感想文は後日ということで・・・。

20100605185654  夕映えの菅平を背景に、とりあえず機械植え。倒れたり、流れたりする苗の植え直しをする段階です。自分で田植えをしたいという息子の願望を叶えるために、一休みして帰宅を待っています。

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2010年6月 4日 (金)

代掻き完了

20100602184702  周囲の農地所有者を気遣いながら、田んぼに水入れを開始しました。始めはちょろちょろ。断ってから一気に入れ流す。そして昨日、代掻きを完了しました。早朝五時前に出かけて、畦作り(畦上げ)をしながら、水管理する毎日になりそうです。職場では、昼休み、ご飯を口にすると異様に眠気と疲労を催し、午後の仕事はダラダラと手抜きしています(笑)。

20100604095744  田んぼは満々と水を湛えています。背景中央の山は、武田信玄が一時布陣した茶臼山です。川中島平では、来週、田植えの最盛期を迎えるようです。蛙とミミズなど、これらを狙うハクセキレイやムクドリや、やっぱりカラスが(笑)田んぼに餌取りに集まり、歩いています。遠くから郭公の声が響きます。川中島平では、「郭公が鳴いたら、豆を撒け」と言い伝えられています。その昔(50年前程前)は、畦には必ず枝豆用の豆が植えられておりました。豆は窒素固定という作用があるために、かってに育ちます。しかし、人間の子供は豆のようにはゆきません。親の宿業です。

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2010年6月 1日 (火)

田植えの準備

20100511173412  「子ども手当」が今日から支給されるようです。やったあ。生活がちょっと楽になります。しかし、マスゴミは、「(政府ではなく)民主党が支給する・・・」とか、「来年度の支給の見通しが立っていません・・・」など、政権に対する誹謗と保守勢力の復権願望を滲ませております。マスゴミの旨味がなくなっているからです。彼らがどういう種類の人間なのかは知っています。

 毎日、田畑の点検と作業をしています。耕運も終了し、「たんぼの力」を撒き、少しづつ水入れを開始して、いよいよ代掻きから田植えです。この一週間は、朝っぱらから起床して、準備です。今日は、農協に行って、いろいろと相談し、助言をもらいました。マニュアルはありません。伝聞とアドバイスと自分での試行錯誤でやります。見ると、東斜め向かいの田んぼは、既に一週間前に田植えを終えています。気が早くて畦にも草一本生えていませんが、それはちょっとオカシイのではないか、と思うのです。草にも畦を守ってくれる役割があり、草も生えていないような田んぼは、余りにも人間の都合のいいもので、稲のためにもよくないのではないか、とも思うのですが。のんびりと着実に観察し、対処して行こうと思う。そういう訳だから、今晩は早く寝ます。

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