『民主主義がアフリカ経済を殺す』のか?
久しぶりに氷霧を目にしました。松本への出張の途次です。信州の気候は今、一進一退の鬩ぎ合いです。これを「三寒四温」という言葉で表現されますが、嫁はんの地方では使わず、多少驚いたということです。風向きが生温かい南風に変化したり、日差しが家屋を覆い始めます。地面はぬかるみ、ロゼットが立ち上がり始めます。フキノトウが膨らみ、イヌノフグリの可憐な花が開き始めます。しかし、柏の葉はまだ、その茶色の葉を落としていません。もう少しですね。
最貧国を捉え続ける紛争、天然資源、内陸国、小国における悪いガバナンス(統治)という四つの罠を指摘したポール・コリアーの新著が上梓された。タイトルに惹かれて早速紐解いたが、どうにも読みにくくて難儀した。調べれば分かるのだが、アカウンタビリティー、デモクレイジー、ダブルスタンダード、インセンティブ、スピルオーバーなど、分かる?また、回りくどい日本語訳文とタイトルのミスリードで、訳(わけ?やく?)が分からない(己が使っているじゃないかというツッコミが入りそうですが。笑)。翻訳本は最初と最後を読み取ればよい、という鉄則を今回も使って吟味すると(序章と第十章)、著者は民主主義を否定していない。それどころか、民主主義を推奨し、最貧国における、そのための可能性と方法を論じて提言しているのである(p18)。したがって、表題は読者に誤解と先入見を与えてしまう。少なくとも、「見せかけの(民主主義)」という修辞が必要である。更に、取ってつけた「(アフリカ)経済」という字句は、著者が経済学者であるということもあろうが、経済そのものを具体的に論じているものではない。彼の脳裏にあるのは、国際平和という目標であり、国際社会の防衛である。彼は、著者紹介にあるように、世界銀行に勤め、イギリス政府顧問を歴任し、開発経済学の世界的権威といわれるオクスフォード大学教授である。立場、地位、職種・職歴はその人の真意である。これを忘れてはならない。その言論はフリーではないのである。さて、彼の最貧国(特にアフリカ諸国)の現状認識は、要約すれば、政治的暴力が蔓延して民主主義の基盤がなく、安易な民主化は逆に妨げとなっているということである(p14、他)。彼によれば、開発援助費の約11%が軍事費に漏れ、最貧国においては、援助費の約40%が軍事費に化けている(p150、293)。そのため、民衆は一日7ドルで生活している状況である(p28)。次に、彼の問題意識は、最貧国における独裁を許している誤りがあるということである(p15)。それは、民族的多様性に目を奪われて、国家としてのアイデンティティーを構築することに成功していないという指摘である。即時的な援助支援による経済復興は、あくまでも出口戦略であって、21世紀の戦争である内戦を封じ込めなければならないと考えるのである。最後に、そのためには、軍事的な介入をも辞さず、最貧国における政治的暴力やクーデターを制御して、民族国家としてのアイデンティティーを構築させなければならない(国民意識の創成)と提言する(p17、244)。ところで、著者の中心的な提言に見られるものは、国際社会の介入である。そしてそれは、実際的には国連というよりは、帝国主義側のそれという疑念がある。著者の経歴がそれを物語っている。彼自身も「綱渡り的な提言」(p17)と自白しているが、彼のアフリカ諸国における政治・民族・経済的分析も、帝国主義側からの目線に溢れている。新自由主義と経済のグローバル化という現況に則した見方と断ずる他はない。そういう意味では、本のタイトルは、あながち、内容を誤解していないのかも知れない。更に翻って、「先進国」における貧困化という問題を考える時、その問題は更に根深いと言わなくてはならないだろう。これ以外の批評は、何れかの日にということで、コリアーの次著であろう「一次産品の高騰と中国の影響」(p312)への言及を待ちたい。
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