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2010年3月21日 (日)

社会福祉としての介護

20100315170623  歯痛、頭痛などが襲ってきて、齢を感じる今日この頃です。毎回悩むのは歯科医。大阪で初めて自分に合った歯医者さんともお別れし(転居のため)、またぞろ悩む選択。歯科治療は忙しく、採算面での都合もあろうが、informed-consentで患者に接する歯科医が少ないのには閉口する。ここでもまた、専門職という資格に守られた尊大さに呆れるが、淘汰の時流になっているようで、いずれ改善されるかも知れない。期待薄だが。ボロボロにされた恨みは根深いぞ(笑)。昨日は気温が20度を越えたようで、生温かった。身体はまだ、冬の寒さの感覚がまだ残っている。そして、今日は風が強く、朝から黄砂で視界が3㌔程度しかない。

32381351  この四月一日で、介護保険がスタートして十年になる。急速で前例のない超高齢社会の到来を前にして、かろうじて発足した制度だが、問題点が多い。特に2005年の制度改悪は、財源論に押されて「介護の社会化」を後退させるものであった。小泉政権による「介護給付適正化事業」の問題点等が、逐一、著者によって詳細に例示されている。元々、消費税は福祉目的税であった筈だが、自・公政権は嘘をついただけでなく、小さな政府という新自由主義政策を掲げて弱きを挫いてきたことで、政権を追われたのである。資料と図表と現場の声が豊富であるために、この本を読めば、介護保険制度と介護クライシスの現状の概略が理解できる。ただ、著者がより良い介護保険制度を望む論拠として、人としての「情」や現場の「志」からの視点(p88、115、231)を持ち出しているが、それでは財源論に打ち勝つことができないのではないか。人間の尊厳という哲学的立脚点や憲法(25条)という法律的視座が必要だろう。それがあってこそ、介護とは社会保険ではなく、社会福祉である(p18、154)ということになり、利用者の権利が守られるのでないか、と思う。

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