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2010年2月20日 (土)

『しのびよる破局』

32247293  辺見庸氏は、己れの死を準備しているかのようである。『自分自身への審問』も『しのびよる破局』も、遺書というべきかも知れない。『破局』の中で、彼は繰り返し「人間とはなにか、人間はどうあるべきか」を自問している。ここで言う「破局とは、資本主義経済のそれだけではなく、・・・かつてないディスオリエンテーション(失見当識)と、深まる一方の荒みの状態」(p163)のことである。今、誰もが社会的に、地球的に行き詰まり感や閉塞感を感じ始めているのではないか。このような状況下で、辺見の思いと見方は一つの鋭角的な切れ味を見せている。金融危機だけでなく、人間の価値観もまたパンデミック(汎発流行)になっている、というのである。1991年のソ連崩壊に伴って、資本(帝国)主義は暴走を開始した。彼は、資本主義を<人びとを病むべく導きながら、健やかにと命じる>システム、即ち、人間生体強制装置と断じている(p17)。『資本論』でマルクスの展開した労働力の商品化だけでなく、生体が端末化し、思考することもなく欲望に翻弄されるあり方への危機意識である。2008年の無差別殺傷事件はその一現象である。景気が回復すればいい、などという緩慢なことを論じているのではないのである。彼によれば、資本主義は「人類の歴史が無意識につくってきた駄作」(p95)である。しかし今や、帝国主義は人間だけでなく(戦争と貧困)、生態系や地球までも破壊尽くそうとしているのである。ちょっと考えれば、エコというのなら、車に乗らずに自転車などを利用すればいいのである。人は価値観が転倒していることに気が付かない。この状況を彼は「無意識の荒み」(p85など)と捉えている。それでも彼は、自らの言葉が宙吊りであることを自覚しながら、自分の痛みから他への痛みへと希望を繋いでいる。破局を眼前にする今、人類は新しい何かを作るチャンスが到来しているとも言えるだろう。しかし、それは最後のそれかもしれない。

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