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2009年12月

2009年12月26日 (土)

温暖化と農業

20091225101405  遠く遥かに白い北アルプスの鹿島槍ヶ岳が遠望できます。サンタの仕事が忙しく(嘘)、深夜勤を終えての車から。そして今日は、通院の補助をしてから昼飯をかき込み、年末年始用の図書確保のために(なぜなら、愚劣な正月テレビ番組のオンパレードで、格好の読書週間になるため)図書館へ。帰宅して年賀状を作成し、後は投函するばかり。今年も、日一日と暮れております。年取る筈だわあ(笑)。おまけに、嫁はんと些細な口喧嘩をしてと・・・(たまには、するわがなあ)。余り充実する日々ではないし・・・(苦笑)。こういう時は、酒を飲んで寝るに限る(笑)。

 『温暖化が進むと「農業」「食料」はどうなるか』という本によれば、長野と東北六県でりんご生産の90%以上ということですが、温暖化の影響により、50年後に北海道が最適地になるそうです。うちでは、りんごが実ると北海道の親戚一同に送るという永年の恒例行事があります。そのお返しとして、北海道からは、じゃがいもや鮭や日高昆布や蟹やお菓子(六花亭花畑牧場など)を戴きます。北海道では米作もできていますので、これでは信州から送るものが無くなってしまうではありませんか。「来年のことを言うと鬼が笑う」と申しますが、50年後のことを言っても、生きていないこともあってお話しにはならないか(笑)。でも、温暖化と農業のことを考える上で、装丁は地味ですが、内容は論旨明快です。著者は実地経験が豊富です。

 

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2009年12月22日 (火)

苦悩する大陸

32065814  「先進国の草刈り場」という表現がある。『ルポ資源大陸アフリカ』を著した(未読)白戸圭一という毎日新聞記者が使いそうな言葉である。貧困と飢餓、犯罪の巣窟、独裁者と圧制、民族紛争と無政府状態など、アフリカは負のイメージに塗り固められている(しばらく前の無知の頃は、野生動物の楽園というイメージ)。こうした負の連鎖の原因は何か。そこが知りたいところである。この『アフリカ苦悩する大陸』の著者であるロバート・ゲストの関心は、貧しい国々が豊かになるための方法にある。その観点からアフリカに迫っている。結論は明晰である。そのための論証が縷々とあるだけで、大概、西欧人の著書は分かりやすい。例に洩らさず、「日本語版へのまえがき」(と「結論」)を読めば事足りる。但し、反論や批判をするためには全文を読まなければならない。さて、彼の結論は、「アフリカが貧しいのは、政府に問題があるから」(p4)である。だから当然、アフリカの国々の為政者を批判する各章の構造になっている。これに先ず気付くべきである。しかしながら、こうしたアフリカの圧制者やリーダーたちには、逆に「レイシスト」と難詰され、贖罪と補償を求められる。堂々巡りの議論である。部外者であると強調する著者にある先進国の(白人の)視線もしくはフィルターにも注意しなければならない。この点でも著者は明快である。「世界の貧しい人々に必要なのは資本主義だ」(p82)という主張である。それもグローバル・スタンダードの資本主義である(p187~197)。先進国農業が補助金や関税によって保護されていることをくどくどと論述し、食糧安保論に反対して農業を衰退産業と断定している(p192)。こうした論調が誰を利するのかは明白である。無論、アフリカ各国の権力者の所業は許されないと思う。しかしながら、彼らは武器を占有している。それはどこから由来するのか。戦争と紛争の原因は何なのか。資源大陸としてのアフリカと帝国主義やBRICsなどとの利害関係はどうなっているのか。この本を読む限りにおいては、そうした疑問への回答はない。「(欧米諸国は)どの国もアフリカに戦略的利害を持たない」(p66)し、「世界の大国はもはや植民地を欲していない」(p67)とまで言い募っているが、この主張は正しいのだろうか。この点についてはいずれの日にか詳述したい。これも参照。

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2009年12月15日 (火)

信州だから進取?

20091215110813   師走になり、黙っていても寒波はやってくる。寒いよ。勉強会もサボって、一頻り、家で巣籠りしていて悪いか(笑)。てな訳で、以前、図書館の廃棄処分で頂いた『信州を考える』を読み上げた。通明図書館の時代から、貸出期限票にもゴム印がないし、皮脂の汚れもないし、その他読んだ形跡も見られない。信州人批判本だから故ある由ということか。信州人気質と思い込まれている①教育県、②理屈っぽさ、③進歩性に対して疑念を呈する内容となっている。都会に出て、信州生れ、信州育ちと相手が分かると、「教育県」ですね、とか自然が美しいですね、と言われて、少々こそばゆい思いと、大半は「ホンマかいな」と思って返答に窮することがあった。狭量で夜郎自大な気質は、確かにそこかしこに眠っているのである。「信濃の国」の中に事大主義と上昇志向を見て取って、一見進歩的だがその意識の中身の保守性を指摘するのがもろさわようこ氏である(p40)。徹底していないのである。満蒙開拓団や戦争の責任追及やら長野冬季オリンピックの帳簿疑惑追及など、例を挙げたらキリがないが、旗色が悪くなると、即文書を焼却し、離反して知らぬ存ぜぬを決め込むのである。ましてや、長野県(民)の批判をすると、間違いなく村八分になり、干されることになる。矜持がないからである。向坂逸郎は、松本に講演に来た折、「信州人は山紫水明の自然を自慢するが、他に自慢することがないのか」という趣旨を述べたということである。PTAや図書館や職場勉強会や社会学習の催事が仰山あるけれども、内輪の仲間褒めが多いし、儀式ばっていて面白くないことこの上ない。議論になっていない。ありがたく講師の教えを頂くという姿勢である。で、このように信州(人)を批判しても、わしを村八分にはせんでおくらい。わしも信州人だでな(笑)。

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2009年12月12日 (土)

デタラメと不思議

20091210121708  積読状態ですが、いま少し読む気がしない。『日本の針路 世界の行方』を少しづつ開いているが、執筆陣が酷い。テレビで出演するコメンテイターと同じレベル。嘘、デタラメを並べ立てている。東大卒と同志社・慶応大系の学者が特に目が当てられない。ブックガイドに自分の著書を挙げている学者は、決って当てにならないと思ってよい。哲学と社会科学の素養がなく、レベルが低劣なことは間違いがない。大体、社会科学は自然科学以上に精巧で、予測と結論は明快なのに、それから逃げている。ええ加減のことを書いていて学者と思ったら大間違いだと肝に銘じるべきだ。学者間の論争も全くないのも最近の学会であり、巷間を巻き込むような論争もないのも今の時代の特色である。デタラメな小泉政治に棹を指した輩が、またぞろ民主党政権の太鼓もちに変身している。経済だけではなく、学者・知識人もまたデフレになっているのかも知れない。とにかく読む気がしない。

20091212203038  何でもいいけど、白菜でも食ってみやがれ。うまいぞ。オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞したのにも驚いた。たかがプラハ演説と国連決議だけで貰えるんでは、俺も貰いたいよ。おまけにアフガン増派を宣言した上での受賞儀式である。ノーベル賞などノーベル飴(大阪市生野区の飴の老舗です。お世話になりました)よりも甘いということらしい。シガナイ俺は、青虫のように、野菜の甘みを食んでいるに過ぎないのかも知れない。これも参照。

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2009年12月 8日 (火)

たまには外食

20091129114817  家にいると、パソコンと読書と睡眠で終始する(冬季は野良仕事がない)。息子は未だに一人で眠りに就くのが淋しいので、その犠牲となって夜八時過ぎに寝てしまうことがある。本やパソコンを開いても、邪魔が入って集中できない。学校に行っている時間だけしかゆっくりできない。それと寝ている間だけ(笑)。信州に来て二年余り。そろそろ計画を加速していこうかなと思い、『家族で楽しむ自給自足』を借りてきました。正確には「自産自消」なんだけどね。先日、伝説のスポット皆神神社の登山口の畑でも、若い家族が戯れていました。デフレ経済やし、小遣いも上がらないし、身の丈の生活をするしかないか。計画は遅々として進捗しない。

 帰途、滅多にない外食しようと、近隣の方にそば屋さんを尋ねると、「こむぎ亭」を紹介されました。入店してメニューを手にすると、確かにざるそばはあるが、そば屋さんじゃないんですけれどお。地元の人は意外に知らないなあ。そお。川中島平では、一般的にはそばを食しません。味噌煮込みか、おしぼりうどんです。味噌煮込みうどんと餃子は私の注文。必ず、店のオススメか、日替わり定食にします。息子はざるそば。伯父の影響か、そば好きなのです。そばも一口味わいましたが、この店は、麺そのもののレベルが高い。そばもうどんもしっかりとこしがあり、うどんはそれでいてモチモチしています。ギョーザは普通です。そばつゆ(湯)と、うどんダシは、食道楽である大阪で鍛えられた食感からすると、効いていません。でも安いから、気軽に小麦食を楽しめるお店です。グルメ食を志向する人には向いていません。また、お店の方も彼らに合わせてはなりません。それなりのお味で、庶民のおなかを満たすような外食産業が生き残れるでしょう。

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2009年12月 3日 (木)

養生の一日

20091202093629  朝靄の千曲川でした。流れに沿いながら筋上に、これからの時期、靄が幻想的に現出します。そして、本日は休日なのでゴロゴロしています。読書をしたり、眠ったりと過す予定。歳も歳だから、養生します(笑)。

 『食糧ビジネスのしくみ』は勉強になりました。食糧問題について鳥瞰的(グローバル)にも虫瞰的にも論じられていて、興味深い。インディアンの「最後の木が死に、最後の川が毒され、最後の魚を採ったとき、人はお金を食べられないと気づくのだ」という言葉は、人間の蒙昧と同時に、リサイクルの重要性を示唆しているのだろう。時代的には、食糧危機から食糧争奪へと推移しているらしい。このところの菜園・有機農業・田舎暮らしブームは、こうした背景を感じ取ってのものであるのかも知れない。若き商社マンが記述しているので詳しい。特に、20代の安部直樹氏の執筆は分かりやすい。冒頭から食料と食糧の差異、穀物とは何かを論じて、人々の盲点を突き始めている。但し、食糧危機が叫ばれだしたのは、ソ連の大量買付けを契機に、穀物メジャーが台頭した70年代であることを忘れてはならない。食への関心が資本の意向に沿ったものにならないことを願う。また、狭隘なナショナリストに利用されないように、留意したいものだ。

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