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2009年11月10日 (火)

昭和の信州教育

200911071226001  塩野入忠雄氏の『昭和の流痕』(信濃教育会出版部、1991)という随筆集を読んだ。「信州の一教師の哀歓」という副題があるように、教師として昭和の激動の時代を生き抜いた思いが綴られている。元々のタイトルは「川原の小石」だったと思うが、新しいそれの方が内容を暗示するもので、適確である。が、時代に翻弄されたという点では共通している。時代背景は、大正期の信州自由主義教育が終焉し、昭和初期の農村不況、「赤化事件」、軍部の台頭、十五年戦争、戦後民主教育などである。自らは、病魔との闘いや戦死した担任生徒に対する責任と謝罪や戦後教育への貢献という激動の昭和の時代であった。巻頭は「教員赤化事件」に関わった旧友の想い出であり、末尾は「北満開拓団」に挺身した旧友の思い出で終わる。戦争体験者の多くは、国のために戦死した者に対し「生き残ってしまった」という痛苦の念のために口を閉ざすか、寡黙である。ために、戦争の実相を掴むための障碍にもなっているばかりか、現時、次々と土に還っている。その時代を知るよすがとして読み始めたのである。というのも、氏の名は「二千年ハス」の話を学校で聞いて知っていたからである。他の体験記と同様に、生き残り教師としての断腸の思い、慙愧の念が語られているが、著者は「自己弁護」していない(p268)。しかしながら、この本を読んでいると、随所に皇民化教育に加担していたことが垣間見れる。「教師は子どもとともに学習する者」との教師の本質(p55)という著者の信念が、いとも簡単に時代の奔流に身を任せてしまったのか、という批判は容易である。戦争への不安とそれをかき消す鼓舞の絶叫を欲しがる心情(p98など)が民衆の中にあったのではないか。教育県としての信州教育は、今は見る影もない。しかし、教育や研究に専念・従事する教師は多い。信州教育を切開しながら、新たな教育を創造していく時期と機会が成熟しているのではないか。 

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