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2009年11月18日 (水)

司馬文学について2

20091117162250  久しぶりに二日休みになったので、司馬遼太郎のことはどうでもよくて、あることを調べに県立図書館に出向きました。時雨れて寒いです。帰宅すると早速息子に捕まってしまい、将棋をしたり、じゃれあったりしてこんな時間になりました。たった40年も経過すると当時を偲ぶ資料も散逸してしまい、10年ほど前に関係者は次々と逝去されて、聞き取りも儘ならない事態である。電話での問い合わせにも、「書庫を調べたが(資料は)残っていない」との返事。しかし、ここで諦めるわけにはゆかない。

 人々の司馬への関心は、近代日本の形成過程を描く歴史小説とエッセイなどに集約されることが多い。周知のように、戦中派としての司馬は、戦争体験というよりはむしろ、戦争経験から出発している。己を客観視できる状況から出発している。「戦時」と呼ぶ侵略戦争に没入した昭和前期とその熱狂からの解放として捉えるだけでなく、天皇制論議を峻拒している。だから当然の如く、それ以前の日本(昔の日本)はまだマシだったとなっている。県立図書館で調べ物をしていると、カウンターでは、坂本竜馬の問い合わせをしていた人がいた。1960~70年代執筆の時代小説に人気は集中しているのである。それはナショナリズムへの危機意識が根底にある、と思う。以下続く。

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