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2009年11月16日 (月)

司馬文学について

20091106112503  司馬遼太郎の「信州佐久平みち」(全集46所収)を読み解いてみた。司馬ブームの予感がするからである。本当は読みたくないのに、である。今までにも一編の小説も随筆も読んだことはない。否、読み始めると感性の違いから、放り出すのが必定になるからだった。高校生の時、先生が興奮気味に司馬を讃辞していたが、何かその語りに欺瞞と嘘くささを感じたからである。できればこうした先入見無しに丹念に字面を追ってみた。司馬本人には遭遇したことはないが、みどり夫人には遭遇したことがある。近畿大学の周辺である。死後のことだから、多少消沈していた印象を受けた。彼の自宅と記念館は朝日新聞東大阪支局と隣接している。赤○隊事件以降のことだから、当然支局は警戒用域で、物々しさが漂っていた。今ではそれも忘れ去られ、司馬フリークには支局が隣り合わせにあることに違和感を覚える人が多い。それもあって、司馬を冷静に批判することは恐さもある。それほど司馬の本は人々に読み継がれてきたのである。国民文学の一つと言ってもいいだろう。司馬文学の意図は兎も角、これを支持する読み手には何かある。女性の読み手がほとんどいないばかりか、小説の主役として選ばれることがほとんどないのが特色である。これは何を物語るのか。以下続く。

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