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2009年11月12日 (木)

二・四事件のこと

20091112162924  書類を届けてから図書館へ。合間に「おっしゃん」(川中島平方言で、年配の男性を指す。語頭を高くしてから下げてアクセントすると、坊さんを指示する)と話をしたが、自分の都合、事情、考えを述べるばかりで、会話した気がしない。これが大阪人とだったら考えられない。ちょっと独善じゃないの、と県民独特の意識に抵抗を覚える。だから、読書と耕作をするしかないのか(笑)。木村秋則氏の『自然栽培ひとすじに』という本を図書館で予約しているが、あと2人待ちで、順番が回ってこない。一つのブームになっているようで(オレもその一人か。笑)、変な取り巻きに利用されているのではないかとの疑念を覚える。数年来、ある人物について調べているのだが、全く進捗していない。文献・文書が寡少で、しかも物故者が多く、ほとんど限界状況に遭遇している。聞き語りを急がなければならないのだが、暇も金もない。仕方がないので、『信州昭和史の空白』を閲覧する。二・四事件の故・高地虎雄テープと河村卓の章を読む。事件の被害者達は、教職を追われ、ある者は病死し、ある者は戦死して資料が少ない(補償もない)が、高地氏の生涯は壮絶である。「アカ」の報復・汚名返上という理由で松本五十連隊・遠山部隊の一員として中国の前線に送られる。そうして、死線をさ迷いながら生還し、最期は殉教死している。県や教育会が、河村氏も語っているように、二・四事件の汚名返上として国策の満蒙開拓運動に加担・協力していったという考えは、間違いないことだろう。(暇にまかせて、石榴のジュースを寒天で固めてみました)

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