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2009年10月13日 (火)

農民文学の意義

30744398  今日の午後は、借りた田んぼで枯草を焼いた。フォークで掻き集めて焼く、という作業だが、三時間ほど要した。火を扱うので、周囲のりんご畑に配慮しながらだからである(元々、火遊びが怖いということもある。笑)。本格的な稲作の開始というところである。次は荒起こし。ところで、当地のりんごの収穫は最盛期を迎えつつあります。午前中は自転車で共和園芸農協(地元の農民による出資の協同組合であり、いわゆるJA農協とは異なります。これも参照)に赴きました。売り出し中の信州りんご3兄弟も格安で販売されていて、品種別に試食コーナーもあります。早速、皮を剥いて試食。ですが、小遣いが少ないので、丸々太ったシナノスイート1個しか購入できませんでした。11月22日は信州りんごの日ということで、これはフジりんごの最盛期です。しばらくはりんごでデザートという具合です。果物王国・信州でよかったなあ~。

20091013120100  で、『霧立村から』ですが、著者、中沢正弘氏の67歳の創作活動である。その中で、「生きている悲哀」(p179)のあり様を展開している、と思う。そこには、一貫して「生きることの意味を問わなければならない」(p41)著者の姿勢がある。それは同時に、農民文学の宿命であるのかも知れない。その昔、『家の光』に掲載されている農民文学があり、時代と社会に翻弄された農民がひた向きに生きる姿に、子供ながら感じ入ったことがある。しかしながら、こうした中にこそ農民文学の存在価値があるのではないか、とも思う。省みれば、芥川賞受賞作などを読めば、どれも愚作というか、人々の暮らしとは何の関係(現実との格闘)がない作品が選ばれ、そのことが人々の文学への関心を奪っている現実があるのである。「霧立村」とは著者の創作テーマを象徴するタイトルと思われる。

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