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2009年10月23日 (金)

『風に訊く日々』

Kazenikikuhibithumb200x297 表題の「風」は自然に吹く風のことではない。それでは何の風なのだろうか。この「風」とは、戦後の食糧難(食糧増産)の時代から現在の飽食(農業危機)のそれへと連綿と吹き続ける自然と農業政策なのであろうか。いわば、農業を取り巻く時代の風なのであろうか。「訊く」とは「尋ねること」である。だから、主観の側の極めて主体的なあり方であって、客体的なあり様だけを指し示しているのではない。この本の「あとがき」で、作者は「農家農村の変貌の時代背景」の中での「試み」と表白している。作者は、徹頭徹尾自らが営む農業にこだわり続ける。しかし、それだけではない。農業を通じて、自然や親・兄弟や男女の性愛や友情や老人などをテーマとしている。『風を訊く日々』はそういう作品集になっている。農業を語るだけでは農民文学ではない。それは農政家に任せるがよい。作者は、あくまでも現実の具体を背負った主体的な試みをしているのである(p353~354参照)。この連作集においては、農民文学賞であり、信州文学賞である「風に訊く日々」が結びにあるが、ある意味では、この作品が連作集の出発点ではないか。やはり「あとがき」の中で、作者は「家族という、人間が生まれてから死ぬ迄の基底をなす要素」と謂い、「家族農業という」「人間の心に帰るべき港」に人類の希望を確信している。そして、テーマを敷衍して作品集を仕上げていると思われるのである。それこそ、「風に訊く 」という意味の実体ではないかと思う。僭越ながら、作者の更なる文学的鍛錬を期待して再読了致しました。

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