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2009年10月

2009年10月25日 (日)

忙殺の一日

20091025145705 用水路をもそもそしていたかと思うと、枯草を焚くのに精を出したり、終いには軽トラの荷台で、運動会の応援フレーフレーをし始めた息子。今日は、畑の下見をしたり、図書館で本を借り受けたり、長野市長選の投票をしたり、午後には田んぼの荒起こしをしました。忙しかったあ~。畑を紹介していただいたおじさんには、丸々でっかいキャベツやブロッコリーやカリフラワーを頂き、我が家の野菜はいっぱいです。とりあえず、田んぼの体裁が出来たので、次は施肥かなと思っています。来年の今頃は米の収穫完了ということになると思います。余ったお米は親戚や知り合いにプレゼントしたいと計画しています。ところで、米といえば80年代よりコシヒカリが一番人気ですが、1956年の品種登録で、意外に古い品種なのですが、未だにこれを凌ぐ人気品種は登場していません。米どころ新潟では、農家が米の収穫量を増やすために、やたらに施肥をするので、それを抑制するためにコシヒカリが推奨されたそうです。肥料が多いと稲が倒伏するために減産になるのです。肥料を少なくさせ、魚沼産コシヒカリ・ブランドを創出するという一挙両得の新潟県農政の勝利でした。しかし、それも安穏としていられません。北海道が追い越そうとしています。気候の温暖化と共に、北海道でもコシヒカリもしくはそれ以上の品種が栽培されるでしょう。農業は時代と共に変転しています。しかしながら、我が家ではその前に、そして正月前に、生り年の石榴の利用と干し柿作り。干し柿は東京の叔父さん夫婦などの所望ゆえ、必ず敢行しなければ・・・。休みもなく、いつまでも寝ていられないのは辛いことです(笑)。

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2009年10月23日 (金)

『風に訊く日々』

Kazenikikuhibithumb200x297 表題の「風」は自然に吹く風のことではない。それでは何の風なのだろうか。この「風」とは、戦後の食糧難(食糧増産)の時代から現在の飽食(農業危機)のそれへと連綿と吹き続ける自然と農業政策なのであろうか。いわば、農業を取り巻く時代の風なのであろうか。「訊く」とは「尋ねること」である。だから、主観の側の極めて主体的なあり方であって、客体的なあり様だけを指し示しているのではない。この本の「あとがき」で、作者は「農家農村の変貌の時代背景」の中での「試み」と表白している。作者は、徹頭徹尾自らが営む農業にこだわり続ける。しかし、それだけではない。農業を通じて、自然や親・兄弟や男女の性愛や友情や老人などをテーマとしている。『風を訊く日々』はそういう作品集になっている。農業を語るだけでは農民文学ではない。それは農政家に任せるがよい。作者は、あくまでも現実の具体を背負った主体的な試みをしているのである(p353~354参照)。この連作集においては、農民文学賞であり、信州文学賞である「風に訊く日々」が結びにあるが、ある意味では、この作品が連作集の出発点ではないか。やはり「あとがき」の中で、作者は「家族という、人間が生まれてから死ぬ迄の基底をなす要素」と謂い、「家族農業という」「人間の心に帰るべき港」に人類の希望を確信している。そして、テーマを敷衍して作品集を仕上げていると思われるのである。それこそ、「風に訊く 」という意味の実体ではないかと思う。僭越ながら、作者の更なる文学的鍛錬を期待して再読了致しました。

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2009年10月19日 (月)

リンゴ談義

20091013115500  昨日は、息子と一緒に田んぼの検分と共和園芸農協へ。本日は、日がな一日家に籠って、南の部屋で陽光を浴びながら読書と昼寝。これを北信州では「なまくら」もしくは「たあくらた」と蔑みます。『風に訊く日々』を読み直しておりました。

 北海道の叔父さんからジャガイモが送られてきたので、早朝、近隣の親戚の家にお裾分けに出向いたら、お返しのリンゴが手にも重く、帰宅してしまった(あるんだけれどなあ。笑)。貰い物のリンゴでここしばらくは又、サクサクと食しなければならない。幸いなことに、我が家には約一名、消化力のある息子がいるので助かる。その昔、我が家の板間にはリンゴ箱が積み上げられ、痛んで売れないリンゴをおやつ代わりに一冬中食べたものだ。〈一日リンゴ一個は医者を遠ざける An apple a day keeps the doctor away〉というイギリスの諺がある。だから、60年代までの病気見舞いには、リンゴを持参して摩り下ろすことが当り前だったのである(卵や温めた牛乳・山羊乳も病人には供された)。また、リンゴは欧米では皮のまま火を通して調理されるそうですが、やはり皮付きで生のままガブリといきたいものです。そうすると、口臭を防ぎ、虫歯菌を阻害するなど、口中のバクテリアなどを殺す特性もあるということで、歯医者をも遠ざけるそうです。しかしながら、毎日齧るとなるとチョッとしんどいかも知れません。そこは品種を変えて、食べ続けるといいかも知れません。オススメはやはり、信州リンゴ3兄弟とこれから収穫の蜜入りふじリンゴでしょう。

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2009年10月13日 (火)

農民文学の意義

30744398  今日の午後は、借りた田んぼで枯草を焼いた。フォークで掻き集めて焼く、という作業だが、三時間ほど要した。火を扱うので、周囲のりんご畑に配慮しながらだからである(元々、火遊びが怖いということもある。笑)。本格的な稲作の開始というところである。次は荒起こし。ところで、当地のりんごの収穫は最盛期を迎えつつあります。午前中は自転車で共和園芸農協(地元の農民による出資の協同組合であり、いわゆるJA農協とは異なります。これも参照)に赴きました。売り出し中の信州りんご3兄弟も格安で販売されていて、品種別に試食コーナーもあります。早速、皮を剥いて試食。ですが、小遣いが少ないので、丸々太ったシナノスイート1個しか購入できませんでした。11月22日は信州りんごの日ということで、これはフジりんごの最盛期です。しばらくはりんごでデザートという具合です。果物王国・信州でよかったなあ~。

20091013120100  で、『霧立村から』ですが、著者、中沢正弘氏の67歳の創作活動である。その中で、「生きている悲哀」(p179)のあり様を展開している、と思う。そこには、一貫して「生きることの意味を問わなければならない」(p41)著者の姿勢がある。それは同時に、農民文学の宿命であるのかも知れない。その昔、『家の光』に掲載されている農民文学があり、時代と社会に翻弄された農民がひた向きに生きる姿に、子供ながら感じ入ったことがある。しかしながら、こうした中にこそ農民文学の存在価値があるのではないか、とも思う。省みれば、芥川賞受賞作などを読めば、どれも愚作というか、人々の暮らしとは何の関係(現実との格闘)がない作品が選ばれ、そのことが人々の文学への関心を奪っている現実があるのである。「霧立村」とは著者の創作テーマを象徴するタイトルと思われる。

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2009年10月 6日 (火)

農業のリスク

20091003203126  中秋の名月は雲間に微かに眺める程度でしたが、秋は益々深まっているようで、音楽会やら運動会やらの学校や地区の行事が目白押しです。

 「農業はハイリスクである」と前回に明示したが、これは正鵠を得ていないであろう。無論、農業生産物は自然条件や市場に左右されるという意味では正しいかも知れないが、問題はそんなところにあるのではない。田んぼや畑を遊び場としていた子供の頃、素朴に思ったことは、稲刈りやりんご採りや消毒の手伝いなどをしていて勤め人が休日を愉しんでいることを羨望したり、地べたに這い蹲るように勤勉に働く両親などの農産物に、農民が価格を付ける権利がないことを疑念を覚えたことである。そんなこともあって、次第に文学やマルクス経済学に興味を抱いたのであるが、マルクスの元々の出発点はイギリスやドイツの農業問題であるとも言える。イギリスの産業革命期より農業問題は大問題となっていた。穀物もしくは農産物の自由貿易か保護貿易かという問題である(この辺の知識は受験世界史のものと文献がないことでうろ覚えである)。その後のマルクスの関心は歴史や経済学、特に史的唯物論と資本主義批判と移って行く。『資本論』の中では、社会の富は商品の巨大な集積として商品の分析から始まって、「労働力の商品化」という新しいカテゴリーで資本主義の矛盾を摘出したのである。しかしながら、マルクスによって農業問題が解決されたかと言えば、現時点でも何も進展していない。では、反マルクス主義の経済学ではどうかと言えば、これは分かりやすいような気がする。歴史の趨勢は農産物の自由貿易主義である。つまり、農業・農民を犠牲にしながら資本主義は発展しているのである。ある意味では、労働力の商品化は資本主義の内部的矛盾であれば、農業問題は資本主義の外部的矛盾と見ることも出来るだろう。農業問題がハイリスクというよりは、資本主義の中から胚胎する問題であり、資本主義社会においては本質的にリスクそのものと言えるのではないだろうか。

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2009年10月 3日 (土)

『農協の大罪』

32185434  今度田圃を借りた老夫婦農家には、息子さんはいるが(娘さんは嫁に出た)妻子はいない。すでに還暦を迎えているのにも拘らず、である。これは一地方の一問題かというと、そうではない。全国には農業高校が350校ほどあるが、卒業生のほとんどは後継者にはならない。就業先としての農業に魅力と希望がないからである。この本は、農林省の元官僚が書いた本であるが、さすが官僚である。データを駆使した論旨明解さに舌を巻くほどである。「はじめに」と終章を読めば済む。要するに、日本の食糧安全保障のために、農政トライアングル(農協=自民党=農林省)を崩壊させるべし、という主張であり、日本の農業政策を誤らせる農協(と兼業農家)の大罪を詳らかにしているのである。農業人口はこんなに要らない、兼業農家と農協は農業改革には邪魔な存在であり、農地の集合・規模拡大をして、強い農業を志向すべし、ということである。まず、「生産額もパナソニック1社に及ばない農業」(p3)という言辞は何を意味するのかということである。それは同時に、規模拡大・会社化すれば、農業経営が成り立ち、利益を享受できて、グローバル経済に立ち向かえるかという問題意識を持ちたい。2004年、ユニクロは「計画生産できない」と早々とアグリビジネスから撤退した。キリンやトヨタも参入しているが、本業があるからであって、決して農を本業としている訳ではない。農業は商工業ほど単純ではなく、ハイリスクなのである。以下、続く(これも参照)。

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2009年10月 1日 (木)

『虚ろな夏』

200910010808341  弱った。ホンマに弱ったことである。小説など、このところ殆ど読まないので、批評というのもおこがましい。手にしている中沢正弘氏の『虚ろな夏』のことである。作者は、2004年、農民文学賞を受賞している草莽の文学者というべきか(これも参照。秀作である)。氏の20代に創作した作品集である。1950年代後半から60年代を時代背景としている。敗戦の混乱から脱却しつつある頃である。「虚ろな夏」の次男坊である次雄の心理には、そんな時代が反映していると思われる。「むき出しに出来ない心のわびしさ」(p147)を感じている。そして、「ただ、ほかにすることがないから今の働きを働いているに過ぎない」(p141)。心がポッカリ空いた時代だったような気がする。私自身も、今では死語となった半ドンの午後の、心象風景が思い出される。小学生の遊ぶ声も聞こえない。教師の姿も見えない。ただ静謐な、初夏の日差しを浴びた校門風景である。そして60年安保闘争の時代の前後である。そのような中で、「湖の翳り」の拓夫は心情を吐露する。「土を忘れない限り、人間は必ず蘇生し、人間は土を忘れた生きものとならない限り、人類は繁栄する」(p192)と。それは作者自身の青春への決別表明であったのかも知れない。このように考えると、作品集の劈頭を飾る「豚間の由来」は、故あることと思われるのである。

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