つながりの生存戦略
認知症(痴呆)を患っている人は、現在約200万人とされ、10年後には約300万人と推計されている。痴呆を病気と捉えるか、老化の一現象と捉えるかで、見方は180度異なってしまう。介護抵抗や暴言・暴行や徘徊など周辺症状のために家族介護や介護現場では限界に達してしまうことも多い。しかしながら、こうした見方、いわば客観的見方から痴呆を論じる本が数多ある中で、この本の著者は、より痴呆老人の当事者に入り込んでいる。症状を論じることはあっても、痴呆老人の自己と世界像を論じる本は皆無である。少しくかつ長らく、疑念を感じていたので早速読んでみたのである。一つは、痴呆老人と「健常者」を同一に捉えていることである。言い換えれば、痴呆老人の姿は、我々自身の現在と将来を映す姿であるということである(p69)。これがなければ、病気として同定して医療対象になって切り捨てられる対象となるのである。著者は、「病巣と『意識』する点に『病巣』がある」(p38)と結論している。福祉の理念は、一般的に「人間らしい生活」の保障として考えられ、その内実として、普通の生活(ノーマライゼーションの実現)、地域福祉(コミュニティケア)の実現、主体性の尊重、生活の質(QOL)の向上の四つが列挙されるが、介護現場は未だ途上にあり、痴呆老人は庇護もしくは忌避の対象としてしか見られていないのではないか。そのための考え方として第二に、「わたしたちは環境中の潜在的な刺激のうち自分にとって好ましい刺激のみを選択的に受け入れ、不快な刺激を無視して世界を仮構する」(p114、第四章も参照)がある。J・シーザーは「人は見たいと思う現実しか見ないものだ」と言ったが、これらの視点は介護現場では有用である。この視点がない介護者は不適格とも言える。介護ケアや自立支援という言葉に秘められた危うさを意識しておかなければならない。むしろ、介護される側からの教えと学び、支えが、良かれ悪しかれ、あるのではないか、という踏み込みが必要なのではないか。福祉理念の前提そのものの見直しも考えなければならないのではないか。著者は最後に、西欧的な価値観の見直しまで言及しているのは、むべなるかなである。
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