2009年9月22日 (火)
家族サービスの一日でした。長門牧場までドライブです。初めての道行きということで、道路マップとにらめっこをしながら、おまけに、風景に関心が及ぶ性質の運転なので、交通事故を心配して嫁はんは肝を冷やしたようです。こちらはこちらで、どこで休憩をするか、どこで食事をするか、予算はどうするか、など細々と気を使わなくてはならないので、毎度のこと、疲れます。レストハウスでソフトクリームを少し舐めさせてもらいましたが、濃厚な美味しさがありました。ただし、長野県の観光地や物産店はどこも無愛想ですね。第一に、「いらっしゃいませ」が全くありません。それに、「ありがとうございました」+愛想が全くありません。嫁はんは観光県・信州を痛く嫌っています。あの伝説の接遇講師・平林都を招くべきだ、と仰っています(笑)。それも全県的に。上から下までまったく面白くない(=サービス精神がない)、とは私も思います。この県民性である真面目さは、個性ではないと思います。県知事からして。
帰る途中に、権現山運動公園風の子ひろばで、ものは試しと、スーパーで購入した250円弁当やらを広げました。それにしても、どこの自治体も、同じような温泉や遊戯公園や立ち寄り施設の作り様は何とかならないのか。続いてやはり、ものは試しに、万葉超音波温泉(ちなみに、ここの番台の受付嬢は好印象でしたが、館内放送は口うるさかったです)に入湯してから、通り一遍のように回転寿司を食べて帰りましたとさ(笑)。妻子はそれでも満足した(疲れた?)ようです(笑)。めでたし、めでたし。ところで、シルバーウィークって、元々私等の休日のためにあるのではないか。肝心のその私が疲れてどうする(笑)。まったく、イカガワシイ命名の連休である。
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2009年9月20日 (日)
認知症(痴呆)を患っている人は、現在約200万人とされ、10年後には約300万人と推計されている。痴呆を病気と捉えるか、老化の一現象と捉えるかで、見方は180度異なってしまう。介護抵抗や暴言・暴行や徘徊など周辺症状のために家族介護や介護現場では限界に達してしまうことも多い。しかしながら、こうした見方、いわば客観的見方から痴呆を論じる本が数多ある中で、この本の著者は、より痴呆老人の当事者に入り込んでいる。症状を論じることはあっても、痴呆老人の自己と世界像を論じる本は皆無である。少しくかつ長らく、疑念を感じていたので早速読んでみたのである。一つは、痴呆老人と「健常者」を同一に捉えていることである。言い換えれば、痴呆老人の姿は、我々自身の現在と将来を映す姿であるということである(p69)。これがなければ、病気として同定して医療対象になって切り捨てられる対象となるのである。著者は、「病巣と『意識』する点に『病巣』がある」(p38)と結論している。福祉の理念は、一般的に「人間らしい生活」の保障として考えられ、その内実として、普通の生活(ノーマライゼーションの実現)、地域福祉(コミュニティケア)の実現、主体性の尊重、生活の質(QOL)の向上の四つが列挙されるが、介護現場は未だ途上にあり、痴呆老人は庇護もしくは忌避の対象としてしか見られていないのではないか。そのための考え方として第二に、「わたしたちは環境中の潜在的な刺激のうち自分にとって好ましい刺激のみを選択的に受け入れ、不快な刺激を無視して世界を仮構する」(p114、第四章も参照)がある。J・シーザーは「人は見たいと思う現実しか見ないものだ」と言ったが、これらの視点は介護現場では有用である。この視点がない介護者は不適格とも言える。介護ケアや自立支援という言葉に秘められた危うさを意識しておかなければならない。むしろ、介護される側からの教えと学び、支えが、良かれ悪しかれ、あるのではないか、という踏み込みが必要なのではないか。福祉理念の前提そのものの見直しも考えなければならないのではないか。著者は最後に、西欧的な価値観の見直しまで言及しているのは、むべなるかなである。
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2009年9月16日 (水)
地区の農業委員Fさんの案内で、地主さんのHさん宅に挨拶に出向きました。「草ぼうぼうにして借りてくれるのは嬉しい。足が痛くて、もう田んぼに行こうにも行けないし。ありがたいわな」と年老いた農婦に喜ばれました。「今の時代、借りてくれるなんて奇特な人ですな」と感心されました。Fさんは、私をすっかり農業従事者にするために、あと2畝の畑を探しておくと確約し、奔走してくれるみたいです。こちらとしては、とりあえず、教えを請いながら家族分の稲作に挑戦するつもりですが、本格的な農業を志すとまで考えは先行していないのですが・・・。ひとまず半農半○への道筋をつけて、この秋から準備を始めようと思っています。漸く開始された船出ということです。ご多聞にもれず、Hさん宅は息子さんはいるのだが、嫁の来てがなく、老々家族化しています。民主党の農業政策は、その理念がイマイチ不明なのが気になります。日本の農政は極めて重要な局面に直面しています。さまざまな農業論がありますが、その殆どが現場からの声が反映されていないと思います。図書館から『農協の大罪』を借りてきましたが、しばらくは農林水産省の元官僚の言い分を批判的に読む予定です。多分、役に立たないと思いますが、資料データの基本と農業論のそれを押さえるためには、有効と思われるので。読むべき本が6冊山積みになっているのになぁ。
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2009年9月14日 (月)
人生には陥穽が多く、それで人生を棒に振ってしまう人もいる。自分の才能を誇示したり、恋の袋小路に迷い込んだり、カネに執着したり、スピリチュアルや六星占術にハマったり、いろいろである。この本のテーマは「ふつうの幸せ」である。そのためのルールを提起している。著者の意図を知るためには、序章と最終章の〈勝間和代〉を目指さないとを読むと分かりやすい。競争社会の成功者たちが、いかに世情を乱していることか。彼らに惑わされないようにしたい。むしろ、ふつうに生きて、ふつうに死ぬことがいかに難しいことか、を人々は知らない(p203)。ふつうに生きる人の人生の多様性をもっと称揚するべきである。時代の転換期にあり、よく売れているのには理由があるのである。しかしながら、この本には画龍点睛が欠けている。生き方のルールが、ないない尽くしである点である。仕事に限らず、「好きなこと、やりたいことをやってみるべし」というルールである。孤独や絶望には「耐える力」が必要であるが(p194)、これだけでは人生に潤いがない。もっと積極的に謳歌するべきである。第二に指摘しておかなければならないのは、池田晶子氏の『14歳からの哲学』を善意に解釈していることである(p122)。これはイタダケナイ(これについては別に述べ立てることもあるだろう)。いずれにしても、この香山氏の本を読んでみて、女性からの視点もあって、学ぶことが多かったことである。
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2009年9月10日 (木)
ある目的があって田園を散策した。人影があると、度毎に尋ねてみた。「あぁ、ちょっとわからねぇから」と、両目だけを出して日焼け除けの頬かむりをした年配の農婦は手を振ったが、不審者でないことがわかると、地域の事情の一端を教えてくれたばかりでなく、「父やんが2年前に亡くなって、娘達はみんな嫁に行っちゃった」と身の淋しさを嘆いた。「息子も高速バスの運転手で、昼は寝るからお百姓はできねぇなあ」と言いながら、親切に道を教えてくれた。また、爺やんは「あそこは欲が深いからなあ」と声を潜める。草刈り中の爺やんは、面倒くさそうに答える。皆さん、顔に皺が入り高齢を思わせる。当地の農業は、あと10年が限界であろう。『都市の成立と発展』という本を読んでみたが、都市は農村・農地を犠牲にして発展するということがよくわかる。中心市街地をいかに活性化するかという問題意識であるが、地方に50万、100万都市なんか要らない。基本的に、都市の発展が当然視される無邪気な進歩史観である。どこの地方も、都市への一極集中とそのドーナッツ化現象を招いて、新たな幹線道路の建設(ロードサイド化)で田園はズタズタになっている。大胆に地方分権するべきである。ただし、道州制は地方には何のメリットがない。道州制も中央集権もほとんど同じだからである。本を読んでいて興味深かった点は、30万以上の都市の条件として、政治機能(行政機構)の集中が必要であり、工業団地を造成して企業を誘致しても無駄ということである。いずれにしても、長野市の南北の地域格差と川中島平における地域商店街の衰退は、実は、著者自身の頭に顕在しているように、都市の発展史観に原因があることに著者は気付いていない。程々がいいのである。
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2009年9月 7日 (月)
所要でアップルラインを南下して、豊野のアグリながぬまに立ち寄りました。北信は果物の宝庫です。リンゴ、ぶどう(巨峰)、なし、もも、すもも、ネクタリン、うめ、あんず、柿、くるみ、ブルーベリーなどです。南信ではお茶やミカンやまるめろ・かりんも生産されています(下線は全国シェア第一位)。息子は果物大好き人間で、毎日デザートとして要求しています。私は、冬の間中、家の中に積まれた木箱のリンゴ(売り物にならない傷み物や半腐性の物など)を食していた経験もあり、他の食材に気が行くので、最近は余り果物を食べません。これからは、ぶどう(巨峰中心。9月いっぱいが収穫時)やりんごです。両者とも、昼夜の温度差が大きく、日照時間が長い長野盆地は大生産地です。りんごの長野県オリジナル品種は、「りんご3兄弟」(秋映、シナノスイート、シナノゴールド)が増えています(無論、フジやツガルが主力でありますが)。信州の果物を食すると、信州の農家の味がします。玉村豊男氏が評するように、「まっとうで正直な味がします」。時代と共に品種が変化しますが、その信念が貫かれています。特に、丁寧な食材作りと蜜の入ったりんご作りには驚嘆します。しかしながら、この信州でも後継者問題が課題になっています。米作り(単位面積当たりの収穫量は長年日本一を占めている)など止めて、果物・野菜作りに信州の農業を特化していくことや、兼業農業を主力にしていることを政策課題にするしかないのではないか。都市圏の近郊農業としての役割として特色化するということです。幸いなことに、家庭菜園ブームです。これを拡大解釈して、農業生産物の担い手として想定するということです。株式会社化するという拡大農業は、長野県では無理です。行政はそういう風にシフトしてもらいたいものです。
イチローや石川遼なんてどうでもいいし、何の関心もない。野球やゴルフしかないんかい。平板一様なマスコミ報道に呆れかえる。
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2009年9月 4日 (金)
当地では既に桃の収穫は終えています。川中島の白桃は、今では全国ブランドになっています。川中島平で、桃の栽培が盛んになったのは30年ほど前からではないかと思います。それまでは、米とリンゴと長いもが主流だったと記憶しています。減反政策と転作指導があって、当地の農業・農家は翻弄されています。ところで、「桃は水蜜桃という位で、樹で充分に熟すと指で皮が剥けるほど柔らかく甘くなり、その旨さは市場ルートに乗った堅い桃では味わえない」(中沢正弘『風に訊く日々』p267)果実である。手間がかかり、持ちが悪く腐りやすいのが欠点である。旨いものというものは、決まってそういうものである。また、「桃源郷という地名は中国に実際にあって、そこでは古くから桃が作られていて、桃を沢山食べるせいで忌み嫌われる結核を病み人が皆無だという。桃は漢方薬の一つでもあって食べ溜めが効き、従って理想の別天地、という意味を桃源郷という字句はもっている」(同書、p281)とある。川中島平は、千曲川と犀川に挟まれた沖積層で肥沃であり、日本で最も寡雨地帯の一つであり、日較差と年較差が大きく、桃の栽培条件に適している。11月収穫の蜜の入ったフジりんごもこの上なく旨い。
精神科の待合室で、「週刊新潮」の選挙特集号を広げたら、「われら衆愚の選択」という字句が目に留まった。誤った選択をして民意が分からないのは新潮編集部だろ、とツッコミを入れたくなった。「週刊文春」はどうだろう、と思って手にしてみると、これまた悔し紛れに「民主党もダメ」という論調。立花某を引き合いに出すことすら意味もない。彼の予測はいつも外れるか、ずれている。悔しさが文面に表れている両誌であって、失笑してしまった。
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2009年9月 1日 (火)
今、信濃史学会誌・『信濃』の巻頭論文である「信濃教育会による満蒙開拓青少年義勇軍送出背景の検証」を読了した(長野県は全国有数の郷土史家が存在する。博物館や図書館数はトップランキングされる)。著者は、金沢大学の教員である小林信介という人である。この論文は、『満蒙開拓青少年義勇軍と信濃教育会』という本(大月本と呼ぼう)を、信濃教育会を巡る社会的背景への論及がないものとして批判的に論述するものである。但し、1933年の教員赤化事件として著名な「二・四事件」が送出事業の契機になったという点では、両者とも同じ立場に立脚するのではないか。異なるのは、執筆目的であろう。大月本のそれは、信濃教育会の戦争責任追及(それはまた、教師としての自己批判でもある)であり、小林氏の場合は、史家としての関心である。ただ、「二・四事件」は、あくまでも送出事業の促進要因であり、主因は、設立当初からの信濃教育会の「海外発展」思想である、と思う。また、こう考えなければ、依然としてその戦争責任は曖昧模糊になるだろう(これも参照)。第二論文「長野県諏訪郡永明尋常高等小学校長『小平茂日記』にみる「二・四事件」」も併読したい。これも参照。
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既に秋空の様相を呈しています。爽やかです。30日の総選挙で、当地信州では、自失党(混迷党)議員はいなくなり、清々しました(と言っても、民主党にも期待しておりません)。戦前の文部大臣・鳩山一郎は、「長野県はご承知の通りに一般に迎新性と云うか、知識欲とか称するものがありまして」と報告しておりますが、その内容は兎も角、一方では閉鎖的な頑迷性があるが、他方では進取の精神は枯渇していないようです。今朝のテレビ朝日系の報道で、小坂憲次氏を取り上げていた。実は、私は名前だけの小坂後援会会員である。選挙期間中にもお会いしたこともある。その時に、この人は落選すると確信した。偉いさんとばかり応対して、一人一人に握手も挨拶もせず、そこそこに帰ってしまったからである。世襲議員が悪いとは思わないが、地元で成育・活動していない議員には反対である。彼が落選した原因は、後援会の弱体化(支援者の高齢化)と世襲批判と自失党への逆風と地元住民との希薄化という四つが考えられる。憲政史上、第一回総選挙以来の五代にわたる小坂王国は、全国的にも唯一である。これ程の世襲はない。長野一区は、それ程の保守王国なのである。頑迷さは、信州の中でも飛びぬけている。取り巻きや親友を見ると、ろくでもない人間ばかりで、可哀相と心中を察してしまう。おまけに、ご本人は正直者ときてる。だから、民意を図りかねたのである。ちなみに今回は、当地においての初投票でありましたが、やっぱり入れませんでした(笑)。
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