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2009年6月 4日 (木)

原理論的仕事

200906041246351_3 代掻き・田植えの季節になっています。と言っても、川中島平のそれは、かつてより半月程早くなっているような気がします。30年程前までは、学校は春の「農繁休み」(秋のそれは4ヵ月後で、稲刈りと脱穀のお手伝い。両者とも5日程と記憶しています。さらに当地では、2月初めに「寒中休み」があります。一日中零下で寒いからです。したがって、夏休みは始まるのが遅く、盆が過ぎると新学期です。だから、まだ甲子園の高校野球をしているのが不思議でした)に入りました。学童は、麦刈りと田植えなどのお手伝いをするのです(その前の時代は養蚕のお手伝いも。)。まず、麦秋(春の季語。信州では、一ヶ月遅れの農事暦が一般的でした。ですから、鯉幟は6月まで翻っているし、七夕は8月に飾られるのが一般的です)という言葉は死語になり、そこかしこに残っているばかりです。当時は手刈りの時代でしたので、汗をかいた額や背中に麦の穂先(のハリ)が刺さったときの痛さはなまじっかではありませんでした。信州の農家は半年勝負ですから、その忙しさは半端ではなく、子どもの労働力は貴重な戦力だったのです。猫の手も借りたい程だったのです。五月のゴールデンウィークには、既に苗代作りに精を出していました。遊ぶどころの話ではなかったのです。盆休み以外は未明より夜分まで働きづめだったのです。特に、夏の日照りの中、田の草取りの辛さは、他の仕事の比ではありません。収穫物はほとんど換金のために出荷するので、麦ご飯は当り前(麦飯もよく噛んだら美味しいのですが)でした。ご飯を残しようものなら、「お天道様(お百姓さん)に申し訳ない」と大喝されました。農業技術の進歩と機械化によって省力化され、今ではその言い回しも陳腐になっているようです。元来、農業だけで食べてゆくということは、そのことが基本にあるのだということは知っておいていい。菜園作業や田舎暮らしの甘い幻想で、人間労働の原理論的な農業を捉えて欲しくはないし、政府の提示する「雇用創出」など片腹痛いことである。

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