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2009年6月

2009年6月29日 (月)

梅酒作り

20090629163206  畑の草取りと、今日や(CHOYA?)と思って梅を採取して梅酒を作りました。どうも酒系のフリになってしまうなあ(笑)。難しいことを考えずに、①梅のヘタを取って、洗って乾かす。②5ℓ壜に、梅1.25㎏と氷砂糖0.6㎏を交互に入れて、ホワイトリカー2.3リットルを注ぐ。③冷暗所に置いて2~3ヶ月待つ。

 リカーと氷砂糖を購入するために、近くのスーパーに出かけました。恣意的な売り場を周遊すると、やはり地域の特殊性があります。もともと、スーパーは独身時代から頻繁に利用して(やっぱりコンビニより安いよ)自炊しましたので、淋しい独身男の買物を白眼視するのも無視して、結構ショッピングを楽しんでいました。塩漬け(スルメ)いか、鯉の切り身、マグロの刺身、土ラッキョウや多種の漬物コーナーなど、大阪とは異なります。豚足や穴子・鱧・蝦蛄なんて勿論ありません。江戸時代からの集散地である大阪中央卸売市場は、食道楽にとって、贔屓目に見ても、マグロや寿司ネタばかりに眼が行く東京の築地よりも、格が上でしょう(Hpを比べてみて下さい。大阪でも最近ラーメン店が増えているのは残念なことです)。

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2009年6月28日 (日)

ミュージカル鑑賞

20090628132115  仕事明けの眠い眼をこすりながら、市民会館に息子と出かけました。イッツフォーリーズのミュージカル公演、「ファーブル昆虫記」~ムシたちの四季を鑑賞しました(長野北部こども劇場主催)。人形劇をも活用し、楽しく活力のある芝居でした。ダンスの中に若さも溢れていました。家の中で「生きる幸せ、信じよう」と謳いながらおどけながら再現すると、大受けでした。会場の子どもと交歓しながら実演するともっと良かったかな、とも思いましたが、久しぶりに演出家になろうと思って、日本演劇協会に相談の手紙を出したことを思い出しました。元々、表現することが好きな性質(たち)な者なので。もう少しのめり込んでいたら演劇界に入っていたかも。

20090628132158  余りにも子ども受けするために、劇内容を粗略化していない所に好感を持ちました。子ども相手だと、つい芸術性を低めることを考えがちですが、子どもには、ある程度の背伸びも必要です。リコーダー重奏もあり、その兼ね合いが良かったです。夢と希望を演出するための舞台構成がもっともっと工夫されて欲しいと思いました。感動しました。でも、眠たいわ(笑)。

                     

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2009年6月27日 (土)

仕様がない

20090627093311  長谷観音北脇の鶴萩古墳から森将軍塚方面を眺める。今日は33度になるそうで、とにかく暑い。けれど、風がそよいでカラッとしている。今夏もクーラーなしで凌げるか。息子のサッカー送迎の合間を縫っての探索。時間が細切れでなかなかやりきれない。仕様がない。

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2009年6月24日 (水)

県民性

20090624095246  今年も梅漬けの季節がやってきましたなぁ。毎日、梅の成りを窺いながら、紫蘇の成長を深慮しております。あくまでも東国原知事の総裁就任ということではないです。ここまで自民党が次期総選挙に必死ということが伝わりました。大阪府知事の見解も理解できます。マスコミも巻き込んで、総選挙も様相も変わってきました。ここで民主党その他が勝ち抜けるかが一切の焦点です。政治は欲得がかかっているから、政治を斜に構えている人にも現実問題として面白くなります。結果は分かっているのですが、ここでは言わない。眺めているだけ。

30782237 長野県人もいろいろである。第5章で、筆者・丸山一昭氏の立脚点がよく分かる本である。田中知事(2000年~2006年)の時代を分析すると、長野県人の特質が理解できるだろう。今の宮崎県人と相似している。日本人が地方から変わるなんてあり得ない、と断言できる。地方の時代という掛け声は全く眉唾ものである。長野県人の営為を否定しているのでないが、長野県は何も変わっていない。それは今の県政を見れば一目瞭然である。長野県議会と県庁会議など、天下一品のつまらない会議であろう。知事からして、無能な官吏が占有し、旧態依然である。長野オリンピックの負債・汚職書類を全部焼却して恬として恥じない。議論好きで理屈っぽいという評価は全部嘘である。真面目だったら変わるはずである、というのが正論である。その意味で、この本の、南北対立による「信濃の国」統一論はデタラメである。著者の勘違いも大概にして欲しい、というのが本音である。信州人の気質はこういうところにあるのではない(これらについてはいずれ論じたい)。

 

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2009年6月18日 (木)

発達障害

20090609170739  信州人気質はどうでもいいとして(笑)、本日は桜桃忌。高校生の時に筑摩書房の「太宰治全集」を読破したものだ。その反動として、三年生になると論理的な事柄に関心が移った。今では懐かしい思いがあるが、太宰の文章にはやはり人を引き込む力がある。今年は生誕100周年ということで、太宰を心酔する人や漫画化・映画化・舞台化の企画が引きもきらないようだ。個人的な感想としては、空恐ろしいと言わなければならない。自立した人間になるためには障害になるからである。太宰は、あくまでも小説家として捉えるべきである。

 散歩して 巡って帰る 桜桃忌

 どうやら息子はADHDの気配を感じる。このところ夫婦で悩み始めている。他者の心理への読み取りや忖度能力の欠如という点から、アスペルガー症候群にも思えるが、いずれにしても、発達障害には変わらない。子育てが本格化する今後なので、しっかりと見究めたいと思う今日この頃であるが、実は、親がそうだったりする可能性も担保しておかなくてはならないことだったりして・・・(笑)。

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2009年6月16日 (火)

さわやか信州

20090608085624  もう一度、『海から見た信州』に言及してみよう。あれこれと信州についての感想を披瀝しているが、筆者の根底にあるのは、故郷・福江島(長崎県五島列島)への望郷の念である。最終章が「信州から見た島」になっているからである。「離島とは海に浮かぶ山村である」と定義した人がいると言うが、信州とは、ある意味で「離島」とも言えるだろう。長野県には山村が多くあるが(全国一の村数と限界集落数)、五島を囲む海のように、山によって隔絶されている点では相似しているのである。ただ、田橋氏が指摘しているように、信州の道は、古来、峠によって都会に開かれている。鉄道網は、国策のためにいち早く張り巡らされ、冬季オリンピックで開通した長野新幹線は、東京と1時間20分ほどで繋がっている。日帰り通勤さえできるのである。高速道路網も発達して、中京や関西からも時間的に至近距離になっている。北陸新幹線が開通すれば、首都圏からの観光客が素通りしていまうのではないかという危惧の声も聞かれる。信州での現実と課題が島の未来を展望するものとして期待されているのである。そのことを自覚している信州人は、まだまだ少ないと言わなければならないだろう。第二に、信州人にとっては当り前なことではあるが(無自覚)、他府県の人間にとっては羨望される事柄がある。信州の自然環境である。その内陸性気候は、年間降水量の少なさと年較差・日較差であり、冬は寒く、それ以外はカラッと体感する(p11、185)。古いキャッチフレーズでは、「さわやか信州」である(p152、184)。それらは、信州の自然の美しさを演出しているが、問題点をも導いていると熟知するべきだろう。

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2009年6月13日 (土)

信州人考

Book  雑用の為に休日の一日も終わる。随意という訳にはいかないようです。こうなれば、なるようにしかなりませんので寝るしかありません。その前に図書館に行って、と。

 『海から見た信州』(信毎書籍出版センター発行)の著者・田橋弘行氏のHPがあるようですが、ちょっと関心があったので読んでみました。どうやら自費出版のようです。信州人には知られていないが、他府県の人からすれば、信州の自然に対する絶賛と比較すると、信州人はあまり評価されていない。・・・。疲れたので、以下続く。 

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2009年6月10日 (水)

やるせなさ

20090608133010 千曲川の河岸に麦畑。「チー、チー、チー」と頻りに鳴き続ける野鳥の名は、何なのか。チドリかヨシキリかツリスガラか。一度姿を現したが、双眼鏡を持参していなかったので、肉眼でチラッと確認しただけなので同定しがたい。精度のいいものを購入したいのだが、それもままならない。

 『前進力』を読んでみた。フランス料理は食してみたいとは思わないが、味覚は12~15歳頃のそれで制約されるそうである。だから、その時期に一番旨いものを息子に食べさせなくてはならないと思う。ファーストフードからできるだけ遠ざけたい。ファーストフード世代は、大概成人病の潜在予備軍だからであり、体躯も大柄である。介護のときに実感する。「カレーが辛いから旨い」は間違いである。辛いは味覚でなく、刺激である。味覚の一つである苦味の味わいを知ったのは沖縄での滞在であった。ゴーヤーの苦さは、沖縄の暑さ対策の自然な対応であり、ファーストフードの進出は沖縄の人々の長寿を奪いつつある。読んでみて、地域の名物や料理のいいものを食することの大切さと、地産地消の意義を覚えた。日本版フランス料理でいいのである。しかしながら、食の世界は深遠であるが、料理人の世界は実力第一主義であるから遠慮したい。

 『これが信州の№1』という本も読んだ。№1に固執する感性にやるせなさを感じるが、とりあえず。長野県庁が県庁として全国一の高所や茅野市役所が全国一の高い市役所を誇る気持ちが分からない。

 『古武術介護塾』は、介護の現場では参考にはなる。身体全体を意識するのがポイントである。古武術は、最近頓に注目されている。ネットの世界では人気の内田某も執心のことではあるが、鵺的であることはご用心。批判ポイントは、相手は関係ないということである。

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2009年6月 5日 (金)

自然に則して食べる?

200906041858591 昨夜のメニューは、ラディッシュのジャコおろし、ラディッシュの酢の物、それにラディッシュの葉の胡麻和え、うぐいす菜の味噌汁など、ほぼラディッシュ尽くめです。ごはんをおかわりしてしまいました。今年はアブラムシの取り付きが多く、天敵のてんとう虫を見かけません。アブラムシとの競争もしくは格闘になっています。今朝、ネットで検索し、退治を試みてみましたが、効果は如何。2ℓのペットボトルに、50ccの食用油と削った石鹸を少々を入れて、水を満たしてシェイク。霧吹きでかけてみた。一応無農薬ですが、野菜本体の成育上問題がないのか、少々心配。光合成や呼吸に支障はないのか。しばらく様子見というところです。

20090605100230_2  次に、ワイルドストロベリーを収穫し、これに倣ってジャム化を試みました。アク取りの仕方やレンジの時間(とりあえず1分から始めてみるか)が不明。とにかく試行錯誤じゃ~。という訳で、砂糖をぶっこんで、ラップで包んでチンをしてからレモン汁を垂らす、と。そんなこんなで、これから合間を縫って、蕗取りに精を出す予定です。嫁はんは、蕗の筋を取って指が黒ずむことや、その佃煮は好きではないので、昨年と同様に自作するしかない。これで酒があったら言うことなし。が、カネはなしというところ。辛い。

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2009年6月 4日 (木)

原理論的仕事

200906041246351_3 代掻き・田植えの季節になっています。と言っても、川中島平のそれは、かつてより半月程早くなっているような気がします。30年程前までは、学校は春の「農繁休み」(秋のそれは4ヵ月後で、稲刈りと脱穀のお手伝い。両者とも5日程と記憶しています。さらに当地では、2月初めに「寒中休み」があります。一日中零下で寒いからです。したがって、夏休みは始まるのが遅く、盆が過ぎると新学期です。だから、まだ甲子園の高校野球をしているのが不思議でした)に入りました。学童は、麦刈りと田植えなどのお手伝いをするのです(その前の時代は養蚕のお手伝いも。)。まず、麦秋(春の季語。信州では、一ヶ月遅れの農事暦が一般的でした。ですから、鯉幟は6月まで翻っているし、七夕は8月に飾られるのが一般的です)という言葉は死語になり、そこかしこに残っているばかりです。当時は手刈りの時代でしたので、汗をかいた額や背中に麦の穂先(のハリ)が刺さったときの痛さはなまじっかではありませんでした。信州の農家は半年勝負ですから、その忙しさは半端ではなく、子どもの労働力は貴重な戦力だったのです。猫の手も借りたい程だったのです。五月のゴールデンウィークには、既に苗代作りに精を出していました。遊ぶどころの話ではなかったのです。盆休み以外は未明より夜分まで働きづめだったのです。特に、夏の日照りの中、田の草取りの辛さは、他の仕事の比ではありません。収穫物はほとんど換金のために出荷するので、麦ご飯は当り前(麦飯もよく噛んだら美味しいのですが)でした。ご飯を残しようものなら、「お天道様(お百姓さん)に申し訳ない」と大喝されました。農業技術の進歩と機械化によって省力化され、今ではその言い回しも陳腐になっているようです。元来、農業だけで食べてゆくということは、そのことが基本にあるのだということは知っておいていい。菜園作業や田舎暮らしの甘い幻想で、人間労働の原理論的な農業を捉えて欲しくはないし、政府の提示する「雇用創出」など片腹痛いことである。

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