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2009年4月18日 (土)

後世への責任

000_0739  定額給付金を当て込んで息子のキッズ・バイシクルを購入したので、近隣まで試乗サイクリングに足を向けました。絨毯のように展開する桃畑を、道端や陸橋上から眺めながら、春の午後の心地よい空気を吸いました。行き過ぎる車を哀れむ視線に、彼らは気が付かないだろう。助手席に座る少女が、息子のサイクリング姿を左折しながら凝視して行き過ぎました。便利さは確かに安逸な生活を保障するが、人間は自然と共に生きていることを忘れてはならない。そのことを少年少女時代に体験した我々世代は、殿(しんがり)の世代として、そういう生き方を後世に伝えるべき責任が厳然としてあるのではないか。例えば、どの局もイチローの記録更新がトップニュースになっていたが、忌憚なくいえば辟易する。野球に関心がない者にとって、彼のことなどどうでもよい。情けなさや怒りさえ覚える。彼には羞恥心がないのだろうか(瑞々しい桃を食するとき、生産者たる老農の姿を想像できるのか否か)。小林計一郎先生の『善光寺平』(1967年角川文庫)を読了して、そういう思いが切々とこみ上げてくる。「戸隠」と聞いて想起されるのは、岩戸の神話と蕎麦であろうが、そもそも蕎麦の名産地は、蕎麦しかできない冷涼なやせ地であることが大概である。よくある蕎麦のグルメ巡りや蕎麦に薀蓄を傾ける人間がいるが、笑止の沙汰と言わねばならないだろう。「人間の魂のふるさとは雑踏の大都会ではなく、このような山里であるかもしれない」(p226)という文言や(小林)一茶への淡々とした記述を読みながら、胸の潰れる思いがしたのである。

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