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2009年2月26日 (木)

『認知症を生きるということ』

32191498  今日もGさんは、「あれえ、どうするだいやあ」と呟いている。ミカンが付いていないので不機嫌そう。「ごはん、食べたかやあ」と何度も尋ねる。寝床でも、どこか不安そうに目が空を走る。常に明るいGさんであれば憎めないことではあるが、妄想・幻覚、暴言・暴力、徘徊行動などの周辺症状(BPSD)が顕著な認知症の人であれば、周囲と軋轢を来たし、家族介護であれば、惨憺たる思いで日々の生活を送ることが多い。認知症は、早期発見・早期治療が原則である。しかも、病気(脳の機能が少しずつ障害されていく病気。詳しくは、介護・医療の先進地と思われるこれを参照)であるが、病気だけではない。この本のサブタイトルにあるように、認知症の治療とケアの最前線を知ることで、そのことは理解できるだろう。だが認知症の人は、体が動ける人が多いので低い介護認定になり、事業主にとってはあまりカネにならない。介護保険制度そのものが身体介護中心なので、認知症対策の視点が欠落している。また、介護現場でも重度者のケアに追われている現状である。介護の社会化を唱えるならば、家族介護が多い現状の中で、認知症患者の家族の負担を軽減するようにシステム化しなければならないだろう。認知症の人は、「いまの時代の生きにくさを、身をもって示してくれている、最先端の存在」(p256)である。社会や生きる意味を問う存在である。ここでもまた、傾聴やコミュニケーションを先ずとることがケアの基本であり、土台である(第9章)。

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