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2009年1月

2009年1月31日 (土)

無恥の時代

20090131184710  誕生日プレゼントということで、本人は朝から待ち望んでいたポケモンゲームに執心です。このときばかりは特に、人の言うことは耳に入らない。この集中力を勉強にも振り向けて欲しいのが親心ですが、それは適わぬ願いだろう。一蹴されるのがオチである(苦笑)。右手は怪我していても、男の子だから、そんなことは歯牙にもかけない。

 正月から、心機一転、新たな職場に転職した。待遇はよりマシになったのだが、色々な意味で違和感を感じる毎日で、帰宅すると疲れ果てて就寝するのが早い。結局、どこに変わっても、どこでもいるような人に囲まれることになるということであろう。まず、この地方で生まれて他府県で揉まれた身になると、この地方人は、真面目だが何事においても面白くない。テレビなどの情報でも、東京情報が多いが、これもまた面白くない。何が面白いのが分からないので、これは世代交代の所為だろうと思うのだが、画面では大笑いしている。不思議だ。仕方がないので、本ばかり読むことになる。『すすんでダマされる人たち』を精神病院で開いてみた。現代は、物質的な貧困ばかりでなく知的な貧困もまた運命づけられているのだろうか(p70)。恥知らずが、何の臆面も無く反省されることなく推移する現代の危機とは何なのだろうか、と思わざるを得ない日々である。

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2009年1月25日 (日)

小原庄助の一日

20090125115814  思い立って近場の、高台にある日帰り温泉に出かけました。左肩が痛み、湯治も兼ねている。毎日湯船を払底しているし、源泉掛け流し(霜降りやトロがブヨブヨ肉であるように、悪く言えば、垂れ流し)であるし、三大美人の湯(川中、龍神、湯の川温泉)を超える等張性のある温泉ということなので、二度目の体験風呂である。地元野菜も激安であり、何にもまして、持ち込み可の休憩室があるのが嬉しい。確かに肌に吸い付くような温泉であり、熱めなので私にとっては好都合である。食堂が併設されているが代金が良心的。日がな一日、温泉三昧して居座っていても文句をつけられることはなく、千円札一枚あれば事足りる。地元客が多く、有名でもないので混雑してもいない。さらに、著名な観光地や温泉街は騒音が多く、居たたまらない経験をすることが多いが、ここでは緩慢に時が流れる。それに、露天だけでなく、内風呂からの展望もいい。こうして、休憩所で水分補給をしながら、一人ぽつねんと読書をした後、テレビを眺める。大阪国際女子マラソンが開催されていた。この大会は、産経グループの主催なので気に入らないが(大阪は、朝日新聞の発祥地であるが、産経新聞の一大購読地という土地柄である。夕刊紙も発行しているのは、大阪だけであろう。また、司馬某という小説家は産経新聞記者出身である。ちなみに、全く関心はないが、新・芥川賞作家は大阪在住である。知事からして面白くない街になりつつあるのは誠に残念なことである。大阪については、またいつか論じることになるだろう)、長居公園に向う今里筋の街並みが画面に流れていたので、つい最後まで見入ってしまった。確かに大阪の下町を眺めるのは飽きないことだ(ところで、上記の鄙びた温泉施設は、客が殺到すると難儀するので秘匿しておく)。本当に懐かしく思い、湯上りを漫然と過した一日だった。

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21世紀の暗黒大陸?

31896958  『老人ホームをテストする』の狙いは簡明である。即ち、介護の心を取り戻して利用者が希望する介護の仕組みづくりである(p83、142、268)。介護業界は、見た目ではよく分からない。悪意で捉えれば、魑魅魍魎の世界である。経営者からして、医療関係者を始め、建設・不動産業界の参入や役人の天下りなど、福祉とは無縁な人間がトップに座っていたりする。元々、福祉はサービス業であるにしても、決して儲かるものではないのに、地域のあちらこちらに施設が目立っている。また、学者や介護士やボランティアなどの、ご高説(ユニットケアのもてはやし)やカリスマ性や「善意」が入り乱れて訳がわからない。こうした側面は、利用者の家族や関係者に意外に知られていない。老人ホームが21世紀に残された「暗黒大陸」と謂われる所以である(p13、270)。タコツボ社会である介護業界に、介護サービスを生み出している仕組みに着目して、老人ホームを商品テストする試みは、確かに一石を投じる意義があるだろう。急速な高齢社会の到来と人材の慢性的な不足という現実の前で、介護の全般的な底上げが必要になっているのである。しかしながら、こうしたサービスシステムの平均点アップをしたとしても、福祉は人(p66)という限界があることも確かである。そのことも問題にすれば、大局的に介護保険制度そのものも問題にしなければならなくなる。行政の指導もあり、個別の介護施設が特色を発揮するのはほとんど不可能である。だが、それは本書の領域外である。さて、施設をテストする場合、施設の雰囲気や利用者と職員の表情を五感で感じてみると、直感的に理解もできる側面がある。利用者が無表情にテレビを眺めていたり、眠り込んでいる風景が飛び込んでくるだろう。また、職員が忙しく義務的に接遇する風景が見えたりする。この本で提起されているチェック項目をチェックすると(笑)、生活の場としての施設ということもあって、三大介護(食事・排泄・入浴)中心になるのはやむを得ないこともあるが(それは逆に、ターミナルケアの重要性を内包する)、例えば、第三者的に家族会があって利用者の意思が尊重されているか、個別に利用者に役割や生き甲斐が検討されているか、リハビリが意識的に取り入れられているかなどの欠落点や不足点があるのではないか、と思う。

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2009年1月18日 (日)

小正月のこの頃

20090117151537  土日が休みだったので、兎に角、息子に二日間かかりきりで、疲労困憊です。じっとしていないし、あれしようこれしようで草臥れてしまった。夜になって寝静まるのを待つのみ。図書館に入ると、息子はしばらくは本探しで離れてくれる。一寸の間に雑誌を黙読。その内戻って来て「帰ろう」とせがみ出す。おちおち読んでられない。とりあえず、『認知症とは何か』と『すすんでダマされる人たち』と『権力と抵抗』と『老人ホームをテストする』の四冊を、そそくさと借り受ける。その他、宿題のサポートをしたり、パソコンをいじっていると、横から押し退けて、勝手にポケモンサイトにログインしたり、ゲームに熱中し出す。嫁はんからは、あれやこれやの雑用を命ぜられるし、所用で車に乗せて外出したり、細切れの時間を適宜断続的に読み進めたり、考え事をしたりしている具合である。と言っている内に、貸し出し本は返却期限になったりして、土日は基本的にじっくりと読書するのは不可能だ。こんな親と子の幸せな日々は一時のことなのかも知れない。今年は本格的に次の幾つかの課題に専念しようと目論んでいるが、どうなることやら・・・。今は寒くて家に籠っていることも多いが、そろそろ準備を始めなければならない。この15日頃は、古来小正月といって、正月に忙しかった女性(主婦)をねぎらう意味で女正月とも称され、どんと焼きも挙行される。当地では、12日に子供達が地域を回ってしめ縄や達磨などを集めて火にくべた。書初めが高く燃え上がると字が上達し、煙に当たったり焼けた餅を食べて無病息災を願う風習である。また、40年前頃には、女達がめかしこんで親類縁者の家々に年始の挨拶に周り、一泊し合ったりする習慣が当地にはあったことを、念のために記しておく。

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2009年1月17日 (土)

危機をチャンスに!

20090117131206  外食はほとんどしない。が、今日は嫁はんが仕事でいない。したがって、息子の分も含めて、私が昼食二人前をにわか調理、という三段論法。と言っても、鏡餅を利用した力餅カレーうどんなんですが。でも、都会に出ての、独身と食アルバイト生活が長かったお陰で、自炊、掃除、洗濯など、家事が多少できて良かったなあ。苦学生さながらに、隣人のうちが捨てた葱やニンジンなどを拾って調理したことも。ひもじい時は、故郷から米が送られたら節約できたし、味噌やマヨネーズかけご飯も今もって苦にはならない。また、料理は基本さえ習得できたら、バリエーションやオリジナルなものができて意外に楽しい。この面白さを知らないで人生を終えるのは寂しい。当地にいると、心づけに貰い物が多い。お菓子やら漬物やら後を絶たない。昨年に漬けた梅漬けや貰い物のミカンや林檎が消費しきれず、まだまだ消費続けている。家庭菜園を作付けすると毎日のように野菜が採れる。一方、都会にいると、商品経済にどっぷりと巻き込まれ、日々の生活に追われる。収入は寡少だが、それでも今のところ、生活は何とかやれる。しかし、老後はどうか。また、障がいをもったら、と想像します。施設でリーフに目をやると、障害者自立支援法が訴訟の対象になっているのを知りました。資本主義の危機を民衆の権利獲得のチャンスとしたいものです。

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2009年1月10日 (土)

雪遊びと戦争

20090110114822  疲れているんですが、息子とスキー場に出かけました。子供劇場のレクの一環です。雪はパウダースノウ。吹雪で視界がなくなる合間に覗いた秀峰を激写しました。橇すべりや雪合戦などで大はしゃぎの子供達ですが、女の子の方が多いので、雪合戦では男の子達は完敗でした。負けん気の男の子が不満足の様子で、最後にまた雪合戦をして、漸く勝てて終了致しました。一勝二敗でしたが。当の私はせっせと玉作りに専念しましたが、一回だけ攻撃に参戦すると、女の子から集中攻撃。「やっぱりお父さんがすると盛り上がるねえ」という母親の声がありました。息子はかまくら作りと雪合戦で精力を使い果たし、帰りの車中おとなしい。足が肉離れしていての参加で、疲れ果てた様子。お父さんへの憎まれ口も少ない(笑)。今は、車とスキーウェアとスキー用具といい、完全装備なので、なんなく雪遊びができるが、その昔は、近所での田んぼスキーや橇や竹で滑るだけのものでした。長い冬をどうして過していたものか。眺め、家にこもり、待つばかりの冬であったような記憶。クリスマスなど意識もなく、正月が最大・最高のイベントでした。お菜洗いや大根漬けや餅つきと少しづつ新年を迎える準備の中で、ゆっくりと時間が流れていた冬でした。寒さの中で、時間をもてあましながら、静謐さを噛み締めるような冬だった気がします。またまた闖入されました。↓

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 こうした中、暮れから始まったイスラエルによるガザ空爆と侵略は、計画された残虐行為です。軍需産業とアメリカ=イスラエルの連携で、数年来の用意周到な事態です。世界恐慌を戦争で突破する帝国主義の所業は絶対許されないものです。戦争と失業を暗示する一年です。

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2009年1月 3日 (土)

『「愛」なき国』

32108907 新春三日目。息子は書初めに四苦八苦(半分楽しみながら)しております。当の私は、そろそろと意識が日常生活に舞い戻りつつあります。半分嫌々でありますが・・・(笑)。東洋大の箱根駅伝優勝、おめでとう。

 介護の社会化を謳って介護保険制度がスタートして、十年なんなんとしている。街の外れや山腹などに介護施設が目立つようになってきている。郊外に存在することにも、社会化というには憚れる意味があるが、他方、社会化は別の意味で実現していることを見逃している関係者が多い。つまり、介護は、行政主導として実現しているという側面である。このことについては後述として、『「愛」なき国』は、介護の現状と制度・政策の問題点を概略する書である。↓は、息子が途中から闖入してペイントした。

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 介護の仕事は、教育に似ているかも知れない。人間相手であり、一方は上り坂の人間を、他方は下り坂の人間を対象にしている。だが、前者は社会に適応させるために知識を教授したり、人格形成にも関わるが、後者は人生の最期を引き受けて、どちらかというと、衰えてゆく心身の生死に寄り添う。教職観には聖職論、労働者論、そして専門職論があるが、介護の仕事とは何なのかという問いを考える場合、それに沿って、介護職聖職論を振り回すと、人材は激減するだろう。1974年春闘で、日教組の一日ストを敢行した。と同時に、田中角栄の給与倍増というアメと共に持ち出された教師聖職論に唱和したのが、日本共産党である。時間がないので続く。

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2009年1月 1日 (木)

謹賀新年

20090101075745 静かな元旦が始まりました。大晦日に夜勤明けで、せわしなく挨拶回りして、帰宅して就寝。起きぬけて年取りの食事。当地では、元旦よりも大晦日にディナーとなるのが風習です。元旦はただ雑煮を食べるだけで、おせちとならない。久しぶりに「紅白」(今、録画で息子は視聴しております。「羞恥心」に執心して踊りながら唱和しています)を少し眺めてから風呂に入り、読書で越年と相成りました。という訳で、新年明けましておめでとうございます。本年も、あまり更新できそうもないブログですが、どうぞ宜しくお願いします。

 昨年の年始年末は、大晦日の大雪の中を通院し、インフルエンザで寝込んでいました。今年は、一家で温泉に出かける予定です。ゆっくりと読書もできそうです(やや字がにじみ出して見えるようになったのが悩み)。今年の計画と抱負を、決意を新たに勘案したいと思います。皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

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