二つの羞恥心
先日、息子の小学校の音楽会にのこのこ出掛けました。音楽は好きなので、学生時代はよくバッハを始めとする古典音楽をよく聴いていました。日本民謡や沖縄民謡もまた愛聴したり、楽器も少々習ったり。そこで、茣蓙の末席を汚したのであります。中途で体育館の屋根を叩く時雨模様の音や定時チャイムも混じり、中々趣のある(笑)音楽会でした。教職員は、はやりのユニットが唄う「羞恥心」の合奏と振りを見せてくれ、生徒の歌と喝采を受けていました。また、どこでも人気の「崖の上のポニョ」もあり、楽しい音楽会に終始していました。息子はと言えば、本人には口が裂けても断言しないのだが、何とかあの音痴は治らないかと親ながら思うのですが(笑)、楽しかったらいいか、と暢気に構えています。
これと比べると、このところの株価下落・円高に伴う公的資金投入などというものは、庶民には「自己責任」論(どこかの知事も)をぶっておきながら、恐喝のように税金をねだるのは、これは新手の詐欺を繰り返す「オレオレ詐欺」と同じではないか。羞恥心がないのではないか、と疑ってしまう。また、新自由主義を掲げて市場経済を推し進めた張本人が、これを立て直すと称して解散選挙を引き伸ばすことは、開き直る説教強盗の論理ではないのか(これを参照)と怒りさえ覚える。まったく転倒していると思う毎日です。
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