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2008年10月

2008年10月28日 (火)

二つの羞恥心

20081024093301_24531  先日、息子の小学校の音楽会にのこのこ出掛けました。音楽は好きなので、学生時代はよくバッハを始めとする古典音楽をよく聴いていました。日本民謡や沖縄民謡もまた愛聴したり、楽器も少々習ったり。そこで、茣蓙の末席を汚したのであります。中途で体育館の屋根を叩く時雨模様の音や定時チャイムも混じり、中々趣のある(笑)音楽会でした。教職員は、はやりのユニットが唄う「羞恥心」の合奏と振りを見せてくれ、生徒の歌と喝采を受けていました。また、どこでも人気の「崖の上のポニョ」もあり、楽しい音楽会に終始していました。息子はと言えば、本人には口が裂けても断言しないのだが、何とかあの音痴は治らないかと親ながら思うのですが(笑)、楽しかったらいいか、と暢気に構えています。

 これと比べると、このところの株価下落・円高に伴う公的資金投入などというものは、庶民には「自己責任」論(どこかの知事も)をぶっておきながら、恐喝のように税金をねだるのは、これは新手の詐欺を繰り返す「オレオレ詐欺」と同じではないか。羞恥心がないのではないか、と疑ってしまう。また、新自由主義を掲げて市場経済を推し進めた張本人が、これを立て直すと称して解散選挙を引き伸ばすことは、開き直る説教強盗の論理ではないのか(これを参照)と怒りさえ覚える。まったく転倒していると思う毎日です。

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2008年10月20日 (月)

あわただしい一日

32106506 息子を寝かせつけて慌しい一日が終りました。早朝六時半に起床して、ごはんを食べさせて登校させて、お迎えと整骨院で治療してもらい、晩ごはんにお風呂に入れて、という具合で、これがしばらく続くと思うと、先が思いやられる。嫁はんが事情により帰省中なのだ。結構、子育てって大変なんだあ、と嫁はんの偉大さを再確認した次第です。

 この本は、日大経済学部の講義内容を編纂したものである。学者のみならず、現場で活動している人も報告や論及をしているので、各項がコンパクトに纏まっていることもあって、現実を捉える上でとても分かりやすい。格差社会の到来と認知されて久しくなるが、経済開発協力機構(OECD)の研究によれば、日本はアメリカに追い抜こうとしている第二位(加盟国中)の貧困率である。問題は、格差から貧困(1000万人以上)へと焦点が移行しているということがこの講座の主旨である。貧困の固定化は基本的人権の放棄につながるゆゆしき事態である。法的整備と財政的裏づけが保障されるべきだが、現政権に期待しても無駄である。格差社会を容認し、促進してきた張本人だから。経済的破綻や社会的疲弊と人的枯渇が日本社会を覆っているかのようだ。

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2008年10月16日 (木)

世界大恐慌の秋

200810111044361  すっかり秋の気配です。今日は夜勤明けの休日で快晴ですが、赤貧の身にあっては散財する訳にはいかない。そこで、終日自宅に籠り状態になって読書と休息になるだろう。バスツアーの車が何台も交差点で居並ぶのを見かけたが、近くの動物園に赴くのだろう。羨ましい。

 株価下落が止まらない。自由主義的市場経済が破綻しているのだ。市場経済は合理的であるというお題目であった筈の金融資本は、何の反省もなく、公的資金(税金)投入をせがんで更なる生き血を啜る。政府介入を拒否していた筈の輩共がこの恥知らずである。これを支持した者共は、公に登場せずに口を噤んでいる。そればかりか、公的資金が投入される保険会社AIGの子会社が、テレビで保険加入を誘って繰り返しCMを垂れ流している。実体経済とは無縁の金融ゲームに興じたアメリカ経済は、サブプライムローン問題を契機にしながら、消費の落ち込みや企業倒産などで青色吐息である。今や、ドル暴落を引金にする世界恐慌という状況に直面していると言ってよい。『金融権力』(ノーベル経済学賞がノーベル賞ではない論述は必見)は、途中で放置しておいたが、慌てて読んでみた。著者の処方箋の提示は兎も角、人間の生活を根底的に破壊するマネーゲームに加担した輩共を、政治的に、道義的に一掃するべきである。

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2008年10月15日 (水)

街頭紙芝居

31879742  またまた紙芝居の話、はじまりはじまり~。『紙芝居は楽しいぞ!』は、印刷紙芝居ではなく、街頭紙芝居の楽しさを紹介するお話。本自体が街頭紙芝居の様相を呈する構成になっている。当の私は、お金がなかったので駄菓子は買うことができなかったが、実際に街頭紙芝居で隠れて並んだ記憶がある一人。買えない子にも公平な大衆文化であった。街頭紙芝居の開始は1930年であり、1950年頃ブームに達した。その後は、朝鮮戦争特需によって日本は戦前と同じレベルまで復興し、1960年頃には映画やテレビの影響で衰退する。その衰退期に、かろうじて街頭紙芝居を経験した一人なのである。街頭には、未だ物乞いや傷痍軍人を目にする時代。紙芝居の世界では、黄金バットや白馬童子が活躍していた。と同時に、一年一年時代の変化が感じ取れる高度経済成長の開始の時代であった。気が付くと、紙芝居屋さんは街頭からは消えていた。ブームになった1930年も1950年も、実は経済不況であった。だから、紙芝居屋も口しのぎの日銭商売だったのだろう。街頭乞食と蔑まれたこともあった。俗悪性を指弾されもした。そんな紙芝居が見直されつつある。路地裏文化として、子供たちに「成熟とくつろぎ」をもたらし、大人社会への「のぞき眼鏡」である街頭紙芝居の意義は、「苦労人の先輩を持つ幸せ」(p151~154)の説明に凝縮されている。読んで、いよいよ紙芝居実演の意欲が湧きました。これこれも参照。今日はこれでおしまいね。

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2008年10月 8日 (水)

絶不調の日々

32087149 仕事の疲労が堆積して歯茎が腫れ上がり、不調の毎日である。歯科医院選びには毎回頭を悩ませる。無理をせず、早めに休んでいる。カネもねえし(泣笑)。家庭菜園もほったらかし。兎に角、体調を整えることに集中している。

 で、『いま哲学とはなにか』を読み進めている。筆者の専門である古代ギリシャ哲学などから照射した現在的回答の書である。古代ギリシャ哲学者を始め、ハイデガーやロールズを引用しながら、更に著者のキリスト教的素養に基づいて、著者の主張がコンパクトに纏められている。国家(権力)が肥大し、帝国主義間の利害の調整、金融資本の放縦を目の当たりにして、ましてや現在の(ドル暴落を伴うであろう)金融恐慌下において、著者の結論(理性による欲望の制御や戦争の原因=存在欲求の必然的結果説や宗教的境地への畏敬の念など)が有意味・有効なのかどうかは読者次第であろう。

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