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2008年9月

2008年9月27日 (土)

紙芝居のおもしろさ

20080927164703  空を見上げると鱗雲。朝夕はめっきり寒くなりました。彼岸花やコスモスが、刈り上げた田圃の端に咲いていました。

 今日は、どういう訳か、紙芝居の第一人者である右手和子さんの公演実演会に出掛けました。興味があったのです。既に、息子は読み聞かせから卒業し、今となっては「お父さん、読んでぇ」という願いの声もなくなり、寂しくなりました。「ええ加減、(ポケモンの)ゲームはやめんかい」というイライラした日常になりました(泣笑)。紙芝居は日本独自の文化であり、1930年に街頭紙芝居が始まり(印刷紙芝居は1933年)、その起源は平安絵巻あるいは江戸期の、のぞきカラクリと言われているそうです。いつ、どこでも、だれでもできる大衆文芸・演芸です。テレビの影響で、街頭紙芝居は廃れましたが、この十年で紙芝居の面白さが見直されつつあります。当の私は、街頭紙芝居の体験者として、今、身近で少し実演しています。右手先生は、これからは、心を育てる紙芝居の方向性をも暗示しておられました。下読みすることの大切さ、期待させる間の取り方、登場人物の気持ちを大切に表現することなどの重要性を学びました。「おじいさんといぬ」も笑って泣きましたが、最後の「ねこはしる」の17分に亘る実演を視聴して、しんみりと感動いたしました。これからどれだけのことができるのだろうか、と秋空と山々を眺めながら、自転車を漕ぎつつ橋を渡りました。これこれも。

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2008年9月25日 (木)

ケニア人M君の思い出 その2

20080921171041 酒の勢いもあって、ハチャメチャな宴会であった。1キロ半程の道のりを三人でフラフラしながら帰途についたのだが、ふと横を眺めると、ケニア人のM君はしっかりとした足取り。こちらは頭がくらくらする酩酊状態。川縁で、在日朝鮮人のK君は吐いていた。当の私は勿体無いので吐くことはなかった。M君のダンスにあわせて三人で踊ったが、道行く人は一瞥するのみで通り過ぎて行った。桜が咲く、肌に気持ちのいい季節だった。M君は、黒人ということで、大家も日本人学生も遠慮がちで冷たいと涙目で嘆いた。三人には共通点があった。K君は、日本人じゃないと意識していた。私もアルバイトで時間を取られて人間関係が少なく、勉学も遅々として進まなかった。K君とも、部屋を尋ねて、彼の才能と生き様に感嘆する仲にすぎなかった。M君も、白人留学生の中でも孤立しがちだったということだ。ケニアから東の果ての日本に、電気工学を学ぶために留学してきたのである。お互いに孤独だったことが暴発したのかも知れない。三人は歌を唄ったり、咆哮したり、夜の街を歩きに歩いた。遠くまで見通せるM君の視力に驚いたが、彼が無事に帰り道を案内してくれた。自分のことで精一杯で、バカ騒ぎするしかない自分の不甲斐なさを切なく思ったが、どうしようもなかった。若さの余裕の無さ、ということだろうか、今となっては三人は遠く離散してしまった。別れ際、お互いに握手して再会を誓いながら、ケニア人のM君はおもむろに口を開いた。”You're best friends” 恐らく、彼の孤独は三人の中で最も深く、その日の闇夜よりも深かっただろう。彼の幸せを今でも祈っている。(了)

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2008年9月15日 (月)

二つの視点

32114704  アフリカについて考察する際に、大切と思われる視点は二つあると思う。一つは、これまでの先入観・偏見を払拭することである。野生の王国、貧困と紛争などが大方のステレオタイプ的なイメージだろう。ここから安直な援助や慈善や自然保護などが志向される。しかし、これは他者の勝手な思い込みであって、実際はあずかり知れぬ自体が存在するのかもしれないということを、念頭に置かねばならないだろう。『アフリカのいまを知ろう』は、青少年読者向けということもあって、研究者の種々のインタビューから、アフリカの実相をおぼろげながら推察できる本である。アフリカ社会は多様でダイナミックな社会であり、アフリカ固有のあり方や論理(非常時リスク分散や混作農法など)を学ばなければアフリカについて知悉したとは言えないだろう。もう一つは、にも拘らず、世界史の中でアフリカを対象化する視点である。大航海時代から始まるヨーロッパ列強のアフリカ侵略は、帝国主義段階においては、アフリカは殆ど植民地支配下に置かれた。直線の国境線は分割統治の残滓である。それは今もって変化していない。1960年代の独立運動期には、民族自決権の承認は帝国主義の利害と裏腹であった。そして、利害の不安定化を抑止するためと防衛の観点から、国連をも巻き込みながら貫徹されている。今やアフリカは、帝国主義的市場経済とそのグローバル化が最も集中する地域として捉えることができるだろう。石油やレアメタルなどの資源輸出の外国企業による支配という事態はどうなっているのだろうか。このことへの言及もない『アフリカ・レポート』は、理解しがたい。アフリカには独裁者が多い、その理由は部族の利害があり、指導者の危機感がないからだ、という論理展開では何も解決しないのではないか(後ろの民間NPOの活動と人々の自立への努力という希望と対照させるためなのか)。次回のレポートを期待する。

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2008年9月11日 (木)

介護の根拠

32067640  発熱時には大抵頭や額を冷やす。アイスノンや熱冷ましシートを処置する。しかし、これをするのは何故なのだろうか。この回答として、この本のp139では、「解熱効果はありません」とある。もぞもぞと疑問を感じる人もいるだろう。氷枕や冷却シートは、「頭痛や体感熱を緩和し、入眠の促進や鎮静などの効果」が期待されるだけとある。そして、解熱目的の処置は注意が必要と補足している。ここまでの説明では、分かったかのようで舌足らずの感を覚える。介護福祉士を読者対象としているのでやむを得ないこともあるだろうが(あるいは、介護福祉士を対象にしているからこそ)、全般的にこうした回答が多いのは否めない。突貫工事で作成されたのは残念至極である。イラストも本文との関連や説明が不足して、改訂版が望まれる。突っ込んだ記述がほしいのは、p18、28、33、41、55、102、109、117、135、などである。しかしながら、こうした本は意外と知られておらず、介護の現場で働く人に需要が多いだろう。故に、かえすがえす残念なことである。

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2008年9月 5日 (金)

ケニア人M君の想い出 その1

31322182  突然ドアを叩いたのは、ケニアからの留学生M君だった。そう言えば、在日朝鮮人医学生のK君と、先夜、「ざっくばらん」という店に繰り出していたことを思い出した。そこは、毎夜、そこかしこの外国人留学生が溜まってくる場末のロック喫茶であった。日本人はほとんどいない。それもあって、フランクな気分で「今度遊びに来いよ」と声をかけたのである。外国では、来いよと誘われば招待と受け取るという。大抵の日本人は、日時を決めない限り社交辞令と受け取る。軽いカルチャーショックを受けたが、とりあえず、K君と共に花見を設定して、ライトに照らされた桜の下で宴会と相成った。酒の勢いもあって、当の私は民謡を朗詠し、K君は「イムジン河」を唄う。さあ、M君の出番。気が付くと、お隣さんはヤクザ屋さん。そう言えば強面が多く、粛々としたグループだった。いきなり、その中の若そうな男が、「(アフリカ人の局部を)見せてくれ」と言い出した。困ったことになったなぁ、と内心怯みながら、「ここは国際交流の場。そういう話は日本人として恥だと思う」と説得すると、頭(かしら)と思われる人が取り成してくれて一件落着。ヤクザ屋さんも含めて、ケニア人のM君の民族舞踊を堪能して、場は大いに盛り上がったのである。宴はまだまだ続いたのであるが、終ってみると、途中の酒屋で購入した一升瓶の濁り酒もビールも、スッカラカンになっていた。踊った上で、まだ素面(しらふ)状態。ケニア人もやるな、と思った。つづく。

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