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2008年8月

2008年8月29日 (金)

口中調味と三角食べ

20080829163917  キュウリの収穫に出向くと、アマガエルが一休みしていました。余りにものんびりしていましたので、携帯カメラでパチリ。今週は夜勤が二回続いて、ちょっと疲れ気味。そこで安直に、『なぜ、日本人は?』を読んでみた。ところで、「なぜ、日本人は」とヤフーで検索すると、驚くことなかれ、3500万件以上の項目が選択される。日本人は「なぜ、日本人は?」という自問することが根っからお好きなようだ。この本を読むと、殊更目新しいものはない。よく聞き知った外国人の質問が羅列されている。寿司の食べ方は別として、穏当な答えがなされているから、特段おもしろいということもない。興味があったのは、日本全体が島国と思われていること(本州は勿論、四国も九州も北海道もよく考えれば島なのだ)と「なぜご飯には味がついていないのですか」という項目だけだった。「島国根性」ということが人口に膾炙されるが、やはり閉鎖的なことは疑いべくもないだろう。第二点目は、「口中調味」という和食の特徴で説明されている。間違いではないが、ご飯に味がないというのは完全な間違いである。「ばっかり食べ」が最近の子の食べ方として問題視されているが、口中調味と「三角食べ」とは密接な関係にあり、「三角食べ」も、おかず→ご飯の口内調味などと誤解されていることが多い。また、ご飯に味がないという嘘は、ご自身で調べてもらいたいし、ご自分の味覚を一度疑ってもらいたい。これは、自分がごはん党であることの贔屓の引き倒しではなく、科学的根拠のあることである。

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2008年8月26日 (火)

アフリカとの出会い

20080826211825  当地では、既に夜は秋の気配で、虫の音を音楽にしながら眠りに付く毎日です。息子の夏休みは、可哀相だが、とうの昔に終っている。休日の今日は、ひたすらごろごろと寝たり(体力の回復の為に)、つらつら読書したり、気分転換に外出して、家庭菜園の見回りをしたり、散歩をしていました。平凡だが、これも人生の一コマなのだろう。また、デタラメ流に茗荷の赤梅酢漬けも試みました。梅干し作りの時に取り置いた赤梅酢が、勝手に作用するから適当でいいのだ(肩肘張らずに、何でも利用するのだ)。

32039836  いきなりだが、アフリカを聞きかじったのは、F・ファノンを紹介する医師の卵であったK氏であったと思う。この『アフリカのいまを知ろう』を読んでいると、昔の、記憶にある人も研究者としてインタビューを受けていることを発見した(これも参照)。そして、二十年以上前のケニア(2004年、ノーベル平和賞を受賞したワンガリ・マータイさんの出身地でもある)人留学生との数回の交遊を想い出してもいた。自分自身の余裕の無さもあって、彼との連絡も途絶えたことは惜しまれる。その思い出は次回に記そうと思う。北京オリンピックのマラソンではケニア代表が活躍していた。それも含めて、お楽しみに。

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2008年8月21日 (木)

アフリカへの興味

20080821110905  とりあえず、梅干しが漬け上がりました。二粒、食してみましたが、柔らかくて美味しかったです。大成功(パチパチパチ!)。爽やかな光と風と空気の中で愛情こめて干し上げました。茗荷の花が咲き出したので(今年は遅いな)、次は茗荷の甘酢漬けに挑戦してみよう。これから収穫に行ってきまあ~す。蚊に刺されるので完全防御をしなくては(笑)。

20080821191354  という訳で、採ってきました。あちこち刺されました。やっぱり。今日はぼんやり過しました。読み始めたのはこれ。知らぬことばかり。こんなのも、これも発売されています。アフリカとどう向き合うか、が問われているのではないか。そもそも、アフリカ大陸にいくつの国があるのかさえも知らない人が多いのではないか。北京オリンピック(メダルにしか興味がないメディア報道には辟易する)も終盤戦にあるが、ジンバエブって何処に位置するのか。いろいろと、こっちの方が興味が尽きない。

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2008年8月20日 (水)

介護の時代

32094967 「介護者は考える杖である」(p30)ということが著者の信念である。あくまでも媒介者であり、脇役であるというのである。それが「最強の」という所以であろう。ともすれば、立派な施設や家庭的雰囲気を謳う老健施設が多いが、このことへの批判の書でもある。換言すれば、生活の主体は老人や障害者である、ということである。「牧人権力」(p166)を行使する行政や医療職・介護職がいかに多いことか。牧人権力とは、フーコーによれば、人々の健康と生命を守るためと称した管理と支配であり、権力の最終形態である。三好氏の主張には、若干矛盾する点もあるが、一貫しているのは、離床運動(機械浴批判も)を提起していることである。介護の仕事は、詰る所ウンコとシッコに関わることであるが、ここから介護が始まるのである。最も大切なコミュニケーションとは、尿意や便意という老人の体意に傾聴することであるという言葉は箴言である(p74)。もう一つこの本で学んだことは、「帰り道」の提唱である。人は必ず死ぬ。ところが医療は死を敗北とする。あるいは、死は医学の敗北と考える。老い(≒死)を内在化した社会や医療・介護を志向すべし、ということである(p79、162)。「母性」(p59、72)という概念は、今後の課題である。いずれにしても、介護の時代である現代には、刺激的書であることは間違いない。

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2008年8月18日 (月)

夏休み自由研究

20080818073912  いろいろありました。キーボード接続エラーのために修理に出すことに。水(酒?)を零したかな。酔っ払って操作をしたのかな(笑)。入力できなくなりました。カバーが必要かな、と反省いたしました。もう一つ、息子の夏休み対策です。安・近・短の小旅行、夏休みの自由研究のお付き合い。全国のお父さんは大変なのだ(笑)。小学低学年なのに、自由研究なんて基本的に反対なのだ。親がかりになってしまうから。図鑑選びや書き方や作り方や目の付け所など、付ききりになってしまう。そんなことはしなければよい、という考えもあろうが、高学年ならいざ知らず、低学年では研究題目選びから始まって、膨大なアドバイスが必要になるので、事前に学校で指導してもらいたい。親まで巻き込むのはやめにしてもらいたい。親子の対話という趣旨があるのかもしれないが。とりあえず、息子は「ミツバチの巣の研究」を選んだ。何故、蜂の巣は六角形なのか、という疑問を調べることになった。調べている内に、六角形の訳は、丈夫で少ない材料でできるという答えハニカム構造)ということになった。そういえば、鉛筆も六角形なのもこの理由のためか。これには、息子より親の方が感心してしまった(笑)。夏休みの自由研究の狙いは、こんな所にあったのかな、してられたな、と苦笑しながら自由研究をほぼ完成しました。ホッ。

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2008年8月 1日 (金)

土用干し

20080801114159  おそるおそる梅の漬け樽一つを点検しました。塩加減少なめだから、開いてドキッ。やはりカビが生えていました。と言っても、表面にちょっと。ホッと一安心。早速表面のカビを捨てて、土用干しを敢行しました。一日目。赤梅酢は鍋にかけてアクを掬いました。デタラメ流梅干作りの最終段階だから、丁寧に気長にやります。もう一つの漬け樽は、塩分きつめなのでカビはありませんでした。よしよし。菜園の世話(トマトとナスの収穫の開始)と糠床のかき混ぜと、秋野菜の準備は怠りなく。金がないので、サマージャンボは諦めました。今日からガソリンも再値上げということです。

 小遣いで サマージャンボも 買えぬ貧

 自己政治 値上げラッシュで 民音上げ

 内閣改造したって、同じでしょ。自○党の票田は疲弊し、今や風前のともし火。漁民ストで繋ぎとめようとも、中小商工業者や農民はどんどん離反。残るのは誰でしょか。騙し騙しで政治をやるしかないのは、コイズミ政治以来のこと。ナメクジのような自己の政治に塩を。

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『軋む社会』その2

20080717102616  朝晩はやはり凌ぎやすいです。このところは、仕事で心身ともにへとへとです。

 『軋む社会』を大雑把に要約すると、①90年代後半以降の非正規雇用(格差)の増大に伴い、苛烈な学歴社会が招来している②日本社会では、仕事、教育、家庭の三つの格差が顕著になっており、一刻も早い多面的な対策が必要な段階にある③グローバル化の進展、産業構造の変化、価値・文化の多元化・多様化を特徴とするポスト近代社会では、ハイパー・メリトクラシー(訳のわからない超人間力)が台頭して、多くの若者を不安に陥れている④この対策として、「柔軟な専門性(flexpeciality)」という概念とそれに基づく施策(専門高校の復権)が有効である⑤日本の若者間では、やりがいの搾取に基づく「働きすぎ」が拡大している⑥若者の労働市場においては、現実と言説との二重の排除が進行している⑦若者のナショナリズムの高揚が指摘されているが、こんなものは嘘っぱちである。むしろ、検証すべきは、政治家やマスメディア(年長世代)である⑧だから若者よ、諦めることなく、考えながら動いて社会の軋みを糺す力を貸してほしい、ということである。感想として二点ある。一つは、日本の教育体制として、普通科教育が占めていて、専門教育が疎かにされていることである。個性化・多様化を称揚されながら、一面的な教育を強制されていて、将来の職業に通じていない。職場体験も、公共事業やサービス業に限定されている。親はほとんど労働者なのに、そこでの職場体験をさせない(労働実態を隠している)。また、専門教育の復権と言えども、そこから複線的にも選択できるように教育体制を開いておくことを忘れてはならない。「柔軟な」という言葉にも意味があるのである。二つ目は、p152~p155で指摘されている点である。現代日本における低賃金・雇用の不安定性や過酷な長時間労働や閉塞的な労働などの原因である。ここで「グローバルな経済競争の激化」とだけ抽象的に指摘して終始する論者が多い。無論、それが間違いないにしても、著者は、「働かせ方に関して、雇う側のフリーハンドが大きすぎる」として、これに対抗する必要性を訴えていることである。2003年(小泉内閣時)、財界の意向に沿う労基法や派遣法の改悪によって、長時間労働やサービス残業や派遣労働環境の劣悪化が進行している。秋葉原事件は、その中での双方にとって痛ましい事件であった。これらに対する粘り強い広範な共同の闘いが組織される時期であると思う。

 

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