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2008年6月

2008年6月30日 (月)

介護の社会化

32070819 「介護の社会化」もしくは「社会的介護」といわれて喧しい。老親扶養という伝統的な考え方や老老介護という現実からくる危機的状況(家族の負担)を、社会全体で支え合っていくという介護の考え方のことである。介護者の尊属殺人や高齢者虐待などの事件が跡を立たない。要介護者等の介護者の約75%は親族であり、介護者の年齢も60歳以上が約5割を占めている。いわゆる老老介護の現実があり、家族は身体的負担や精神的ストレス状態に打ちひしがれているのである。介護という言葉自体を反芻すれば、元々社会的介護の概念が内包しているとも言えるだろう。2000年にスタートした介護保険制度は、本来そうした理念を実現するものとして期待されたのだが、現実はどうなのか、を詳細に検証したのがこの本である。やや専門家向けに提示されているため、一般の読者に分かりづらいかも知れないが、介護の現場の声や制度の問題点(介護保険制度の理念と介護現場の乖離)を捉えるには手っ取り早い。いろいろと処方箋や政策提言(介護予防システム批判にも力点がある)しているが、より根本的には、介護の社会化の実現ということを念頭におけば、高齢者・障害者を支える制度的問題があると思われる。即ち、介護保険制度は健保や年金などに並ぶ社会保険制度であるが、介護とはそもそも社会福祉であるということである。このことは多少触れられてもいるが、忘れられていると思う。介護保険制度の中途半端性が問題なのである。これを論じることはいずれということで、さて置く。ところで、2006年にスタートした障害者自立支援法も、障害者の支援になっていないことを指摘しておきたい。また、年収格差状態にある(約4割は1年以内に離職、非正規雇用など)介護従事者の「善意」や「やりがい」に依存するあり方を続けるようであれば、介護現場は崩壊するのは目に見えている。介護は行政だけでなく、教育や地域や職場などの中で取り入れられ、関心の社会化を実現して一人ひとりの問題として受け止められる必要があるだろう。

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2008年6月24日 (火)

賃下げ反対!

20080624091250 我が家の菜園で、ラディッシュに次いで、キュウリの収穫が始まりました。無農薬有機野菜です。でも、草取りと害虫取りの毎日で、早寝早起きをして対処しております。ネキリ虫をやっと見つけて退治したり、アブラムシやハダニを取り除いたり、苦心惨憺。菓子袋などに封入されている乾燥剤を小まめに集めて苦土石灰の代用したり、脇芽取りをしたり、細かい作業が大変ですな。

 嫁はん共々休日だったので山道ドライブをしました。帰宅するや否や、嫁はんがいきなり小遣い値下げを切り出しました。そんなぁ、と値下げ反対を訴えました。原材料(商品)価格や公共料金の値上げと不必要な費用のカットを理由にして、50%カットを要求しました。これは許されません。そこで、労使(夫婦)交渉をしました。①自公政権が間違っていること、②小遣いには不用な費用はなく、個人生活を破壊すること、③子供の教育上、お父さんの権威が保たれないこと、などを列挙して話し合いました。皆さんはどうお思いですか。今でさえ生活が厳しいのに、労働者の賃金カットに手をつけるのは可笑しいのではありませんか。とくに、橋○知事さん。賃金カットしてもどれだけの節減になるのか。むしろ、労働意欲を減退させるだけです。また、ドライブに連れて嫁はんのご機嫌取りしたりなど、サービス残業をしてるやんかぁ。どうか皆さんも、反対署名にご協力をお願い致します(笑)。

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2008年6月17日 (火)

似非科学との闘い

32057969 「疑似科学」「ニセ科学」花盛りである。テレビを眺めていると、いかにも胡散臭い(健康)商品の宣伝が多いし、怪しい人物が幅を利かせている。もっとも、科学は歴史的に似非科学と不可分に発展したとも言えるかも知れない。著者は、これを非合理に惹かれる「心のゆらぎ」としている。知覚、記憶、思考、判断の過程でのエラーやバイアス(偏向)の例は、枚挙の暇がない。昨年、地元の小学校校長が心の教育と称して「水からの伝言」を取り上げたそうな。「子ども騙し」とはこのことの謂いである。また他方で、理工系離れが話題になっている。国益という観点からの議論であるが、異論もある。この本の主眼は、疑似科学への処方箋として、「予防措置原則」(=未来の予測が不完全である場合、安全サイドに立って予め手を打っておくという考え方)を提起したことである。環境や温暖化や遺伝子組み換え問題等の、疑似科学と真正科学とのグレーゾーン(第三種疑似科学)への問題提起である。我々は、余りにも疑似科学と擬似議論に取り囲まれている。今夏も猛暑になりそうだ。頭を冷やす意味でも、一読して地球温暖化についても考えてみたい。

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2008年6月10日 (火)

不平等の根源

20080610115749 群集し始めた茗荷の前に咲くイモ・・・何だっけかな。えぇっと、ムラサキカタバミの群生。あと、スイセンノウゼニアオイなどの赤紫系の花が目立つ庭模様。身体はガタがきたが、目の保養だけはキチっとね(笑)。車の点検と読書の一日。

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 「食」という身近の観点から地球環境問題を考えるというこの本の趣旨は、概括的にとても分かりやすく展開されている。フードマイレージ、ヴァーチャルウォーター、食と農の問題点、このところ生起しているパラダイム転換など、余すことなく論じられていて、入門書として格好の書と思う。この十年で、日本の農業は崩壊する危機に直面している。具体的には後継者難である。農林水産省は、2007年から抜本的な農政改革に着手している。基本的には、市場経済システムに沿う大規模農業従事者の育成に主眼にあって、これは早晩失敗するだろう。差し迫った危機に直面しているのにも拘らず。日本の農業生産額は、1985年をピークに激減しているにも拘らず。問題点は分かった。では、それに対して学者はどう応えるかが注目なのである。この本の著者達は、政府の食育基本法を追従しているだけではないか。結論として、生産と消費との連携システム(地球環境問題への踏み込み)の構築とあるが、これだけでは何も解決しない。学者は消費者なのか。「食はすべからず不平等の根源である」(p.112)というヒントがある。では、その不平等の由来は何か、これをも論じることが求められていると言えるのではないか。

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農を考える

20080609090732 たけのこを貰ったので、早速皮むきをした。剥いて剥いて、ほっそりとした実が姿を現しました。夕ごはんの汁の実になりました。

 『食卓から地球環境がみえる』という本を読み出しました。今、食の安心・安全性の問題が取り上げられ、世界的食糧不足の危機から農業が見直されて来ています。この本は、地球環境問題という視点から食と農を論じています。江戸時代の農業人口は、総人口の80~85%と推定されています。まだ農業技術が未熟であることや自然災害の影響で、飢饉などが頻発しましたが、それでも循環型の農業社会を形成していたと思います。資本主義の進展の中で、農業の地位は後景化し、第二次・三次産業の犠牲にもなって貶められています。一方で、人類が農業をすることで自然破壊は始まった、という見解(農耕原罪説)もあります。他方で、農業を生かすも殺すも消費者次第である、と力説する農業生産者がいます。どうなんでしょうか。私達は、今一度「農」について考えてみる時期に来ているのではないか。一般向けに分かりやすく叙述されています。まだ、三分の一しか読んでいないので、評価は次回に。

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2008年6月 6日 (金)

神なき時代

20080604162753 声は聞けども姿は見えず、という訳で、夏を呼ぶ郭公の声が近隣で鳴り響く今日この頃です。播種して以来、ニンジンの芽が十日目にして出ました(画像の手前側)。昼間はコムクドリの営巣を眺め、夜は、男子バレーの豪州戦を一家で応援する羽目になった一日でした。あと、アラフォーね(笑)。

32057960 『不可能性の時代』は、かなり骨の折れる読書だった。骨格は単純であるが、論述の肉付けが込み入っていて、付いてゆくのが大変であった。①「理想の時代」1945~70、「虚構の時代」1970~95、「不可能性の時代」1995~という社会学的時代区分、②不可能性の時代についての回答と実践的示唆、③キーワードとしての「第三者の審級(=神)」論、に要約されるであろう。エポックメイキングな事件や小説・映画・ゲームなどを題材にして河合流に意義付けしていく、ハヤリの学者然というやり方は、どうも抵抗を覚える。だから、上の時代区分も腑に落ちないことになる。とまれ、第三者の審級(神)なき時代をどう生きるのか、という問題に果敢に挑戦する気概を感じる。それが成功しているかは、読者の捉え方次第。「活動的な民主主義」と<他者>への接続の可能性については今後を待たねばなるまい。ヨブ記を読み直してみよう。手探りは続く。        

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2008年6月 1日 (日)

微妙な一日

20080601114214 今日は、あまり気乗りがしなかったが、嫁はんに促されて近場のキャンプ場に赴きました。目にも鮮やかな新緑の中を、山への坂道を一気に車で駆け上がりました。子ども劇場のデイキャンプです。到着すると、合図とともに賑々しく飯盒炊爨(はんごうすいさん)。子ども達による原始的な火熾(おこ)しという縄文体験。努力の末、火種が熾るとみんなの歓声が。大人は可能な限り手や口を出さないというのが付き添いの親のルール。                                                    

20080601122512 息子は、クギナイフで懸命にキャベツ切りはしたけれど、あとは他の子とは離れて、遠巻きに落ち着きもなく遊んでばかりいる。親としてはちょっと心配した。一斉行動が良いとばかり言えないけれど、協力して成し遂げる力があるのかしら。一つのことに集中して、辛抱強く成し遂げる力があるのかしら。親として子どもの欠点ばかり目に付いてしまった。嫁はんが、「(キャンプ体験という)初めてのことやし、こんなもんやろ」という言葉に、やや得心しつつ、忍耐強く成長を見守ることも必要だな、とも思った次第。息子は、できあがったハヤシライスやカレーを、人一倍平らげて満足そうでした。帰宅して、今度はかねて息子念願の回転寿司に家族みんなで出かけた。デザートメロンを食べ終わると幸せいっぱいの息子でした。が寝際に、男子バレーボールのテレビ観戦をやめようとせず、また親子げんか勃発。自己主張が強く意地っ張りで、言う事をなかなか聞かない。父親としては、息子に振り回される微妙な心境になる一日でした(苦笑)。

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