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2008年5月

2008年5月29日 (木)

『としょりの気持ち』

30891182 午前のひと時に読むことができた。しかし、内容的にかなり介護のヒントが散りばめられている。「共感ー受容」の方法、「繰り返しの技法」、地域社会との関わり、役割と作業=生きがいなど。この本は、痴呆性老人介護のエピソード集である。痴呆(呆け)は、今の行政・医学用語としては、認知症と呼ばれる。この点については、不明なので何とも言えない。ただ、痴呆は、近代・現代医療では「病気」と捉えられているが、介護の世界では病気として相対するのは誤りだと思う。つい三十年ほど前までは、呆けた老人に対して、「耄碌したぁ」と表現して、自然な感情で受け入れられていた時代があった。現代日本は高齢社会になっているが、実生活では、核家族化や世代間断絶意識などがあって、彼らと隔絶されていることが多い。だから、知らないだけなのである。そういう意味で、介護の必要にある人にとっては、お年寄りの気持ちを理解するには、とても役立つ本であると思う。「異邦人体験」のエピソードは、特に分かりやすかった。しかし省みれば、こうした気持ちを理解することは、ごく普通の老若男女の人間の世界でもあることでもある。お年寄りの気持ちを理解することで、あらためて人々の気持ちを理解するために、立ち止まってみたい。最後の編集後記は冗長で、蛇足の面を否めない。もっとエピソードをふんだんに収集した方が、本として面白かっただろう。これも参照せられたい。

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2008年5月26日 (月)

「ちりとてちん」再考

20080526094014  テレビは見ない、と公言しているが、実は選択して見ているのだ(笑)。NHK連続テレビ小説やアラフォーなど。妻子が点けているいるので、気になるとつい画面に釘付けになる。という訳で、「ちりとてちん」(Wikipediaの項参照)について。

 ようこそのお運びで。前回のテレビ小説「ちりとてちん」は、平均世帯視聴率が過去最低という評判である。しかし、見続けた人にとっては、「ここ二十年間での最高傑作」という褒めようである。朝日の文化欄でも、、「時計代わりにならぬ充実度」とべた褒めである。「(落語好きな)ホリイのズンズン調査」(週刊文春連載)では、(主人公が)最後に落語を捨てるなよお、と悪態をつきながら、号泣回数を調べ上げつつ、最後まで落語的だった、と褒め上げている。その他、賞賛の声は数知れない。身近な人でも、泣きながら「良かった」と洩らす人は多い。関西での視聴率は、終盤にかけて跳ね上がっている。大阪制作のため、「ちりとてりん」の評価は関東圏ではイマイチだが、関西のよさを理解していない故であろう。大阪の名誉の為に記しておく。時宜に適した落語を題材にしたストーリー、有名でない配役陣、キチンとしたキャラクター分け、さりげないナレーションなど、どれも申し分のない内容のある企画だった。努力すれば何事もできるのではなく、できなくて苦悩する「へたれ」な主人公の生き様は、確実に視聴者の心を捉えたようである。時代は、地位・名誉や成功・裕福や自己負担・責任などの画一的な価値観に対する飽きへと口を開いているのであろう。喜怒哀楽の生活の中で、抗いながら生きるそれぞれの人生の無様さ・ひたむきさを、見事に描いて仕上がっている番組だった。少し不明でもあるが、「ふるさと」や「家族」ということもテーマになっていた。しかし、どれもこれも視聴者の思いと共振したのではないか。視聴しなかった人には、文字通り「一生の損失」と断言してもいいだろう。

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2008年5月25日 (日)

等価交換?

20080525154330 朝、前の家のおじいさんの菜園で談義をしていたら、ラディッシュと白姫はつか大根を引っこ抜いてくれた。そして、午後所用の帰宅途中で、近所のおばさんの畑の前で、息子に野菜の名前を教えていたら、収穫の残りの白姫はつか大根をまた頂いた。お喋りしたことの等価交換だろうか(笑)。「うちでは食べ切れんから」というのが、みんなの半分の本音。うちでも、ナスとキュウリとトマトの育苗とラディッシュの発芽中。おまけに、今夕にはニンジンとラディッシュの種蒔きまで懲りずにしたのです。完全に、はまっていますな。晩ごはんには、ラディッシュの酢の物、白姫はつか大根をマヨネーズ味噌で生食(ポリポリ!)。葉物は味噌汁の具に相成りました。お隣さんにもお裾分けしました。マーケット(市場)を気にする必要ないから気楽なもんです。これがコイズミ(=元詐欺師首相)なら絶対くれることは無い。くれたのは、後期高齢者医療制度でした。

 昼過ぎに『出版ニュース五月上旬号を眺めていたら、NHKドラマ「ちりとてちん」の書評が目を引いた。文芸評論家の齋藤慎爾氏が、本というよりは、ドラマと作者を絶賛していた。内容が興味深く、熟読してしまった。具体的には、次回のお楽しみに・・・(笑)。

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2008年5月24日 (土)

目から鱗

20080524074702 芍薬が咲き始めました。子供の邪魔とか、忙中の間の読書とか、飲酒(笑)とか、で更新がままならない状態でした。雨が降りそうなのか、蛙の鳴き声が時折。田植えの季節のようです。子供が発熱したので終日お守。ちょっと解熱したので畑を耕しました。そして、梅雨の予兆の雨が降り出しました。

31684166  1994年に、日本は人類初めての「超高齢化社会」に突入したという記事を以前記したが、だからといって、それが問題だ、という考えは一面的である。社会の高齢化の進展に伴い、国の施策として1997年に介護保険法が成立した。そして、法的な整備や介護技術などは、未だ途上にあると見ていいだろう。国の財政的困難を取り立てて「自立」や「受益者負担」や消費税論議に安易に踏み込むのは、高齢社会の現実に取り組む基本的考えと意思がないことを証左しているに過ぎない。金がある時は散財し、無いときは緊縮するという場当たり的政策をやってきたのが、他ならぬ自○党政権であって、こんなものは国の政策とは言えない。また、介護の世界ではあらゆる面で試行錯誤、暗中模索が続いている。既存の介護常識が誤解と過誤に満ち満ちているのである。『老人介護 常識の誤り』は異色の本である。シロウトこそ介護に向いており、リハビリが必要なのは、むしろ介護・医療を施す側の専門家であることを余す所なく持論展開しており、目から鱗である。

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2008年5月22日 (木)

菜園の現場から

200805181842501  ふきのスジを取っていたら、こんな手になっていた。ふきを食べるのも大変だあ。スジを取っていると、郭公の鳴き声が耳に響く。世界的な食料の不足と暴騰が話題になっている。『諸○!』などの雑誌を時々覘いてみるが、読むに耐えない。このようなオピニオン誌は、数々あれど、はっきり言えば、赤字雑誌である。どこから金が出ているのか。タイトルからして胡散臭い。「日本を元気にする」などと銘打っているが、反動的に元気になるだけで、我々のような民衆には益々生きがたい世の中になっている。巻頭の「紳士と淑女」を読むと、小沢=ニヒリスト論を披露し、一つ一つ時評と人物評をしているが、どれもデタラメで的を外れている。嫌気がさして棚に戻すことになる。人間として歪んだ人が読むものであろう。

20080517122747 仕方がないので、種植えと苗植えをしました。自然は正直。せっせと土を耕し、肥料を入れ込み、水をあげ、草刈りをすると、すくすくと茎を伸ばし、土を割って芽を出す。できるだけテレビは見ない方針。が、サイクロン(背後に軍事政権)と大地震(背後にスターリン主義)と年金・医療崩壊(背後に自公政権)など、打ち続く人災ともいえる悪政を思うと、頭が痛くなる。民衆が起ち上がらなければ生きられなくなったということだろうか。

 

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2008年5月15日 (木)

激動の年

20080515093852 早朝(田舎の朝は、年配の人にとっては当り前だが、早いのだ)八時前、親戚のおやじさんから筍が届けられた。お礼のお返しとのこと。認知症のおばさん、元気かな。嫁はんは糠がない、と零していたが・・・。

 北京オリンピックや「チベット暴動」(国内的には、餃子事件や長野での聖火リレーの混乱)、そして先日の四川大地震(日本国内の中小地震の頻発)と、このところ中国が国際的な注目を集めている。どうやら今年は中国一色になりそうな気配である。民族・植民地問題の激化、世界経済の帝国主義的再編の企図、政治的には米中日の激突の様相(世界大戦を危惧する向きもある)を呈しているかのようである。国内的には、洞爺湖サミットで中国問題が議題として論議されるだろう。様々な意見や論調がなされているが、基本的には殆ど見誤っているから、一庶民としてはやり切れない。きちんとした経済的視点と民衆からの視点を失うことの無いようにしたい。

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2008年5月 9日 (金)

文化的記号

32027947 非常に読み物として完成されただった。数リミナル効果(=数のサブリミナル効果。無意識に数のイメージに操作されてしまうこと)の一点に論点を絞り上げて、多くの例証を検証していく姿勢に、外国の研究者の本を読んでいる錯覚をした。雑多な知識を練りこまずにひけらかす日本のインテリが多いものだから、余計にそう感じる。そして、文化的記号としての数についての、日本人の持つ語呂合わせ的な感性がよく分かった。アメリカ人が円周率をYes , I have a number と覚えることや、小学二年生で習う九九が万葉の時代からあったとは驚きである。

 西山に登ると、やたらに(マレット)ゴルフ場が多いことが気になる。全世界には約2万5000ものゴルフ場があり、6000万人がクラブを振っている。肥沃な農地や山林(の水)を簒奪し、土砂を削り取り、化学肥料と農薬づけにするのはいかがなものか。ゴルフのスポーツ報道は見ないことにしている。第一、高温多湿の日本の気候には合わないと思う。ゴルフは砂漠でどうぞ、と思う。森の中に忽然と現れるゴルフ場を見ると、ガックリ来る。

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2008年5月 8日 (木)

疲労困憊

20080504130351 このゴールデンウィークは、家族旅行や肉親夫婦の帰省や皆で食べに出かけたり、弱ってしまったサクラの苗木の世話や夜勤で、心身共々疲労困憊である。ゆっくり読書や一人酒に耽る時間がない。おまけに、貧乏家族にも関わらず、支払い請求書だけは次々と舞い込む。原油や食糧の暴騰というニュースが世界を駆け巡っている。ハゲタカファンドは原油・穀物市場に雪崩れ込んで、世界の民衆に格差と貧困と戦争を強制している。帝国主義の危機の中でのグローバル化は、具体的には、今年洞爺湖サミットの開催という形にも表れている。実は、洞爺湖サミットは前段の閣僚会議として既に始まっているのだ。サミットとは、民衆にとって、国家の威信をかけた帝国主義同士の分捕り合戦である。環境破壊、貧困や戦争を惹起させた張本人が、その解決を図るとは恐れ入る。解決どころか、益々搾取と収奪、破壊と略奪、戦争と貧困に叩き込むものである。だから、これに対するアジア・アフリカ(=資源大陸であることに注意。アフリカ民衆の闘いに瞠目すべし)などの民衆のあらゆる闘いは正当化されてしかるべきである。あらゆる民衆の闘いを糾合させる時である。だから、我が家の食糧自給作戦は、火急の課題である。疲れている場合じゃないのである(笑)、ほんまに。

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