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2008年4月

2008年4月30日 (水)

変わらないもの

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 7月の陽気という中を、何処からかサクラの苗木(ソメイヨシノ)を調達してきました(サクラ泥棒か?笑)。この時期は、サクラの植樹としては最悪の環境で、実際のところ、夕方から植樹しようと他用をして置きっ放しにしていたら、葉が上半分しなびていた。あわてて穴を掘り始めて完了したのが午後六時。サクラには可哀相なことをしたもんだ。多分、根付きが悪く、葉なしで枯れてしまうかも知れない。失敗失敗。ところで、当地では、辺り一面林檎の花が咲き始めております。左の画像が身近にある林檎の花です。季節は、白が基調の風景に相成っております。そして、だらだらとした、真っ白けの一日でした(笑)。

 最近ちょっと、「第二の近代」論に関心を持っている。第二の近代化論は、要約すると、1989年のベルリンの壁崩壊による東西冷戦構造の終焉という事態を国際社会の歴史的転換点と把握する見解である。これは、どちらから言うと、法学・政治学的あるいは社会学的見方で、学問的には東大系の学者の拠って立つ視点ではないか。確かに、それから経済のグローバル化が急展開している。しかしながら、現象ばかりに目を取られて、変わらない部分(本質)を見失っているのではないか。このことは何れ再考したい。

 

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2008年4月25日 (金)

嘘はつかない

20080424161628 仕事場の周辺の白いハナミズキが満開です。雨に打たれながら、健気に花弁を広げています(24日)。白い花群が街を彩り始めている今日も、風の冷たい空に向って花弁を震わせていました。実は、一青窈の「はなみずき」以来、何となく好ましい印象の花である。「果てない夢がちゃんと終りますように」というのは、祈りですね。

31857099 近時は、新聞もテレビも見ないので世情に疎くなっている。感覚も鈍っているということか。ボツボツと本を読み、一日を過す。平々凡々。休んでばっかしや、という心中の声なき声も聞こえるが・・・。少しづつ畑仕事に挑戦しながら、日本の農業について手始めに読み出す。自然は正直で嘘はつかない。サクラ(ンボ)の苗木も植え込んでみるか。先日は梅の木を植え込んでいたら、隣家のオヤジさんに大根を二本もらった。「袖振り合うも他生の縁」ということもある。しかしながら、「仏の顔も三度まで」ということもあります。三度議論にならなかったらスルーするのが常道でしょう。

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2008年4月23日 (水)

春爛漫

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 行く春を惜しむかのように野辺をサイクリングしてみた(貧乏人はこんな楽しみしかないのだ。苦笑)。堤で散りゆくソメイヨシノ。寺院のシダレザクラ。咲き誇る西洋タンポポや群集する菜の花の黄色。ピンク色に染まる桃畑。遠くには冠雪の山。快晴で光降り注ぐ中をペダルを漕ぐ。学校の農地では、小学生が指導を受けながらジャガイモの種芋を植え付けていました。

 自分が生きてきた歴史を再考するために、郷土の戦後史を読み耽る毎日である。戦後の混乱期を経て、経済的には相対的安定期であろうか。敗戦後の復興と高度経済成長へと繋がる日本帝国主義の本源的蓄積は、この地方も人々の生活と暮らしを一変させた。1961年の農業基本法は、所得格差の是正と称し、地方・農村の余剰人口を吸収しながら更なる剰余価値を再生産させる作用をした。折りしも、1960年は「所得倍増計画」と謳う池田内閣が成立し、安保闘争が高揚する年である。この年は、生活実感からして時代の転換点として見て取れるだろう。敗戦帝国主義としての日本は、今もってその脆弱性は不変である。帝国主義は、その矛盾を戦争によって突破しようとするのも相変わらずである。ここで不満を怒りに転化してゆくためには何が必要なのか。言わずと知れたことである。それは決して、1985年のプラザ合意や86年の前川レポートの提起する途ではないことは確かである。

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2008年4月18日 (金)

「姥捨て」・虐待

31915838  65歳以上の高齢者は2431万人。総人口の5人に1人の割合になっており、「高齢化社会」ではなく、まさしく人類史上初めての「高齢社会」に突入している。地域社会を含めて、福祉・医療の充実政策が求められている。しかしながら、現実には療養型医療の削減や後期高齢者医療制度(年金天引)の施行など、老人切り捨ての国の政策がまかり通っている。国が率先して、現代の「姥捨て」・高齢者虐待をしているのだから、なにをか況や、である。戦前の戦時政策と類似している。高齢者の怒りに、自分党議員の狼狽ぶりは見ものである。老人を敬え、などと能書きを垂れている保守・反動の輩の本性見たり、というところか。一方、介護・福祉の現場は、経営難と政策・施行の混乱と低賃金と介護ストレスなどギリギリの事態となっている。新聞・テレビなどでは、漸く事実と実態が報道されつつあり、多少は認知されつつあるが、未だ介護・医療は隔離の段階を脱していないと思う。こういう事態の中で、この本は、福祉・医療保険制度そのものに対する批判とはなっていないということもあるが、我々の自衛手段として、「介護地獄」となるか「しあわせ介護」となるかのヒントと手引きとして参考になるだろう。介護は何も難しいことではない。「がんばらない介護」を勧めている。介護は自分のリハーサルでもあり、完璧主義の介護は息が詰まる。人間同士の支えあい、ふれあい。そうした人間本来の共同性を見直すことにも通ずる。生きがいや命という言葉は、気軽に使うことには躊躇いがあるが、そうしたことも視野に入れておきたい。

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2008年4月17日 (木)

一人花見

20080417105923  当地では、サクラが満開です。妻子のいない休日は、免許更新(なんとゴールド免許を始めて入手)の後、おにぎりとさつま揚げと、当然の如く、日本酒を持参で(私一人だけでした。笑)、一人花見と洒落てみた。左下に置き去りにしているのは、愛車の折りたたみ自転車です。近場はお世話になります。記憶にある、この堤のヤマザクラは、当の昔になくなって、けやきの古木が保存銘木として突っ立っていました。記憶というものは美しいもので、一抹のさみしさを感じさせます。テレビによると、都はるみも最愛の人を失って、悲しみの日々ということです。彼女の「大阪しぐれ」は名曲でありまして、この人は、歌が人生でありまして、羨ましく思います。それにしても、大阪に因んだ演歌は雨がつきものです。昨年の今頃は、造幣局の通り抜けに息子と出かけて、その折も雨模様でした。「夢もぬれます」「雨よかえして」という所に、この歌の心情のエッセンスが詰まっているでしょう。大阪は、大当たりもありスカもあり、混沌としてとても魅力的な街です。そして、美しいサクラのトンネルの中で、それもまた思い出になってしまっていることに寂しさも一塩です。

 免許切り替えの合間にこの本を読んでいて、「笑顔とだらしない介護」のすすめを推奨していて、はたと得心した。私もだらしないから。誇り高き完璧主義はコリゴリ。ところで、まったく評価していないが、橋下大阪府知事は、こんな発言をしている。実体験は大事だな、と思った次第。共産党はどうしようもないな。

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2008年4月14日 (月)

雑念

200804141318501  その昔、小学生であった頃の通学路のサクラが満開です。そこで、サクラの苗木を植えようと思いましたが、急遽、嫁はんが貰ってきたウメの苗木を空き地に植え込みました。職場はローテーション勤務ですので、土日祝が休日とは限らず、今日一日は、所用に合わせて街の散策をしました。街は静かで、ときおり車の通行がある程度で、水を打ったように静かです。先月閉店した魚屋さんの家はひっそりと佇んでいました。衣料品店の店先では、おばあさんが軒先を掃除していました。大手スーパーは、年配の人の買い物で行き交いがあるが、小声か寡黙である。八百屋のおじさんが、ミニサイクルを駆動する私の顔を怪訝そうに覗き込んでいました。地方の過疎化・高齢化を目の当たりにしながら、それでも道端に咲く草花や樹木を楽しみながらの道中でした。雪柳も白い花を咲かせ始めました。あちこちで見かけ、今日はじめてその名を覚えた低い草花、ひめおどりこそうがやたらに下草として茂っていて、これは東日本に多いのかと思った。この地方の春の草花・樹木の花は、一斉に咲き始めて早い。ぼやぼやしていられない。でも、のんびりと過した一日でした。

 購入した本は、これですが、実際に読んでいるのはこれです。要介護(要支援)認定者数は430万(約6人に1人)に昇り、介護福祉は緊要な課題になっているからでもあり、身近な家族の高齢化ということもあるからである。そして、介護福祉の専門学校の入学者が定員を割り込んでいる所が大半である、という今年度の現実がある。

 

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2008年4月 7日 (月)

土筆の佃煮

20080407105342_1482 嫁はんが調理してくれないので、自分でハカマを取って佃煮にしました(土筆の採り方と調理方法はこちら)。まあまあイケルかな。次々と茎を伸ばしているので、しばらくはやってみようっと。先日はふきのとうの佃煮に挑戦。一回は失敗作でしたが、他はうまくいった。今年はとりあえず、野草の採取と野菜作りに いそしんでみようと決心している。生活が苦しくなる一方の時代だから。自給自足の生活を目指して空き地を耕作してみるのだ。

 スイセンやサンシュユやレンギョウ(黄色系)、モクレンやウメ(白もしくはピンク系)などが花を咲かせている中、月曜日の図書館に出かけました。来週は、アンズやサクラ(ピンク系)が構えております。足早に通り抜ける春を満喫しております。ゆっくりと過す、骨身を休める休日でした。

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2008年4月 3日 (木)

介護の現実

31403005  サブタイトルに、「新しい介護のはじまり」とある。著者はリハビリテーション医療・介護の第一人者ということである。氏のことは、これを読んだことがあるので、多少知っていた。革命の内容は、その分野についてあまりよく理解できていないので、加えて法的錯綜と現場の迷走もあり、これと言って断言できないのだが、少なくとも二つのことを明示していると思う。一つは、老人や障がい者に対する考え方の転換である。著者は「かばい手」の発想と命名している。強者は弱者の為に存在しているのだ、という確信を明らかにしている。強者とていづれ弱者になるからである。第二に、介護・健康長寿の目標は、寝たきり防止であると指摘していることである。日本では、100人に1人は寝たきりであるという。座位保持と移乗は、寝たきり防止の生命線であるが、医療・介護の現場では、絶対安静によって廃用症候群を来しているという現実に対する批判としてこの本はある。介護士の少なさは、何も給料面で冷遇されていることだけではない。介護の現場では医療が優位に立っていて、チームケアと謳われながら、療養士や介護士は補佐と従属の関係にある。しかし、だからと言って医療従事者が介護のプロとして教育されている訳でもなく、相変わらず医療の立場からしか利用者を見ていないことが多々ある。あくまでも患者としてしか見えないのである。そういう問題も解決されなければならない課題ということは、あまりにも知られていない。もっと言えば、利用者に寄り添う介護とは、患者としてしか見えない医療よりも困難と課題と喜びがあると言えるのかも知れない。ちなみに日本は、1994年に人類史上初めての超高齢化社会に突入しているのである。そして、このお寒い現実である。これこれも参照されたい。

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