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2008年3月28日 (金)

『在日』

31996814  「在日」の存在に始めて出会い、思い知らされたのは大阪に来てからのことである。指紋押捺拒否の闘いが高揚しつつある時代であった。大阪・東部(東大阪市や大阪市生野区など)を徘徊していると、パチンコ店や焼肉・キムチ店、「在日」を思わせる零細企業や家々の街並みを縫いながら、時折チマチョゴリの清々しい女子学生が通り過ぎる姿を目にしながら、そこはかとなく在日朝鮮人・韓国人の息遣いが感じられた。社会的差別の下で、マイノリティとしてひたむきに生きる人々に静かな感動を覚えたものである。しかし、残念なことに、彼ら・彼女らに接することはあっても友人として長く付き合うことができなかったことは、返す返すも残念なことであった。姜尚中氏のことは、やはりテレビから知ったことである。その語り口と表情から、「在日」の一切を背負った覚悟的印象を受けたものである。グローバル市場経済による貧富の格差が拡大している中で、我々日本人が「在日」について考えることは、日本人として来る時代をどう生きるべきかを模索する上で極めて重要な課題である。自分自身の問題なのである。日本政府や反動・右翼が結論として唱えるような、「嫌なら日本から出て行け」という剥き出しの狭い排他的ナショナリズムが目立ち始めている今、まさにこの自伝は自省の書として再確認できる。彼の在日一世への想いと固着は、日本人への告発ともなっている。「民族が殺し合う(朝鮮)戦争で甦ったのはどこの国なのだ」(p218)という怒りの問いに真摯に答えられる人は、そうはいないだろう。二年前、彼は靖国問題のNHK討論番組で上坂冬子をコテンパンにやっつけた当事者である。しかしながら、その当事者が日本人ではなく、「在日」であり、中国人であることを恥じなければならない。いろいろと批判もあるが、読んでいて「知的誠実」も感じられて嬉しくもなる。日本人必読の書であることは間違いない。

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