2020年9月24日 (木)

奴隷国家日本

2020091911420001  携帯電話は未だガラケーである。これには二つの理由がある。一つはカネがないのである。ガラケーの修理終了となってスマホへの導入を促す郵便物が何度も届く。しかしながら、数年後にはガラケー以上の通信料金を請求するというカラクリがある。通販商品と同じ虚妄である。第二の理由は、情報収集への拒否である。菅政権は、デジタル庁の新設によってマイナンバーカードと銀行口座への紐付けをして、一層の管理と収奪を狙っているのだが、これは新自由主義政策の権化である。菅内閣は超・新自由主義を推し進めて国有財産をも解体・奪取しようとしているのである。
 かつての伊東正義(大平正芳の無二の親友)は、「本の表紙を変えても、中身を変えなければ駄目だ」と首相の地位を固辞したのだが、金権政治に反対する自民党議員など今ではいない。時代錯誤の新自由主義と宗教的復古主義の合体した自民党など、今では時代遅れとなっている。両者とも将来の日本のあるべき姿ではない。元々「自由民主党」など羊頭狗肉の看板なのであって、現在の自民党になるのは、本来あるべき姿であり、運命だったのである。以前はまだまだ戦争体験者が存在して、戦犯をも擁している党内でも睨みを利かせていたのであるが、今ではそれも皆無になって、世襲議員、金権政治、派閥政治、財界主導、有産階級の政党に成り果てているのであり、「国民のための政治」などあり得ないのである。看板を変えなければならないのは自民党なのであり、看板を変えてはならないのも自民党なのである。
 毎日新聞やNHKの世論調査では、内閣支持率が6割との回答があったということだが、支持固定層は自・公の3割というのが精々のところだろう。そもそも、なぜNHKは民営化しないのか。防衛予算は過去最大となって、コロナ対策費や医療と介護の予算、文教・科学技術費や持続可能なエネルギー政策費、農業予算は比較するべくもなく、少ない。ましてやコロナ禍の中小企業に対する救済手当など雀の涙と言わなければならない。この地球において、ダメだしされた新自由政策を推進しているのは日本国のみと言わなければならないだろう。政府やマスコミの意思は財界の課題によって決定し、権力は資産階級に牛耳られ、芸能人やスポーツ選手、さらに御用学者によって権威化されて宣伝される。正しく、奴隷国家の所以なのである。


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2020年9月14日 (月)

終焉への道

2020091218030000 陰気な政治屋が日本国の宰相になる。農業に嫌気がさして上京したというが(この自慢の苦労話が東北農民をバカにしているのに吐き気がする)、唯々都会に出て立身出世をしたいだけだったのである。秋田は、国学の士である平田篤胤の出生地であり(彼もまた故郷を捨て出奔した)、奥羽越列藩同盟を切っ先に裏切り、今でも自民党の根城(自民王国)である(県知事も久保田藩の末裔である佐竹氏という驚きである)。そのために、現在も人口流失と過疎化が激しく招来しているのである。一刻も早く改変すべきである。
 ここからは持論であるが、本来、普通科の進学校は廃止するべきである。都会への大学と「有名」大学進学が目的だからである。中学卒業後は職業高校への進学制度を構築するべきである。適性がなければ別のコースへの編入もスムーズに編成されるべきで、学校制度はいつでも進路変更ができるように複線式にするべきなのである。普通科の高卒では社会的に何の意味もないのである。大学入学は20歳過ぎで十分であって、その間に学生は適性と能力を積み上げるべきなのである。医学部は、その意味で最も適性の無いものが所属している典型的な例であり、社会的地位を確保しながら患者を顧客にして荒稼ぎしている人物が多くいるのである。病院を受診してみたら一目瞭然である。患者が死ぬとわかったら何の関心もなく患者を見放すのである。エリートと言われる彼らが、自民党の圧力団体としての医師会と医療皆保険制度に安住しながら、この間のコロナ禍において、国民のためにほとんど役割を先導していないのも尤もなことである。むしろ自公政府のお先棒を担いでいるのである。ある著名な大学の医学部教授会を垣間見たことがあったが、それはそれは「白い巨塔」だったのである。
 また、職業高校や理工系大学にしても、理工系の予算配分を格段に重視するべきである(尤も、文教予算が過少すぎるのであり、膨大で無駄な防衛費を削減すべきである)。資源もなく少子化の時代に唯一期待できるのは、教育の力のみである。文系はリベラルアーツとして留めるのである。1991年に教養部(リベラルアーツ)を廃止するという文科省の失敗があったのだが、近年のノーベル賞受賞者を見てみると、知性がとても感じられないことが多い。教養を積んで理系的思考もできる人間の教育を目指すべきである。普通科の進学校卒で偏差値の高い医学部進学など洒落にもならない。患者の顔も見ず、問診と検査のみで、聴診器も当てずに触診もせず、患者とコミュニケーションも取れない医者などいらないのである。一事が万事、活力の無い日本になっているだが、自民党政治など全くもって時代錯誤と言わねばならないのである。

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2020年8月25日 (火)

人類の試練

34094344 朝晩は三日連続して夕立があって清涼になっているが、日中の10時から16時はやはり暑くて野良仕事はそれ以外の時間に限られている。一時期は夜間に蝉と蟋蟀が同時に鳴いていて、この異常気象を実感したものである。今は、軽く中干しを終えて、盛んに出穂している時期に当たる。水管理は様々な理由で難しく、しっかりと深水にすることができないのが悔しい。間断潅水で凌ぐしかない。「最終的な落水は、ふつう、出穂後35日頃から」と教科書(p69)にあるから、10月1日前後になるから、収穫は10月半ば以降になるのではないか。ここ数年は品質低下となっているので登熟の具合を見守るしかない。
 コロナ禍の中で日本社会が疲弊しているのだが、一向に明るい兆しは見えない。当然と言えば当然である。日本の歴史に虚偽があるからである。高度経済成長を経てバブル経済が崩壊して失われていくばかりの理由を全く自覚せずに、頭の中身は夢遊病に取り憑かれているからである。終戦を敗戦と規定することなく戦前の体制を保持したまま、世界の相対的安定期と米ソ冷戦期の中で、朝鮮戦争やベトナム戦争という他国同士の殲滅戦によって復興と経済成長しただけのことを理解していないのである。「奇跡」は偶然であったのである。歴史認識の愚昧は日本の政界や財界などすべての業界に浸透していて、すべての災禍は人災と化しているのである。役に立たない連中が権力を握り、それに平伏す人間ばかりになっているのである。何をか況やである。申淑玉は「18歳になるまでにバカヤロー!と言える人間を育てろ」と教師に向って要求しているが、教師もまた解放されなければならないことを明言している(『向かい風が吹いていても』p130)。しかしながら、もっともっと歴史的に自覚するためには、不要不急のこの国の宰相には、もっともっと「頑張って」もらいたいものである。
 8月初旬の梅雨明けと同時に、当地でも例年以上の暑さを迎え、お盆を前にして二人の知人が不帰の客となってしまい、収穫して茹で立てのトウモロコシを齧って偲んだことである。面会して色々と話したいこともあったのだが、二つの個人史が失われたのである。アタリは、『21世紀の歴史』の中で、2035年には生態系に甚大な危機が訪れて世界的な多極化を予想し、ホーキングとカーツワイルは、「2045年には人工知能(AI)が人間の知能を超えて(技術的特異点)人類は終焉する」と断言しているが、それ以前にカウンターとしての人間の知性が養成されるのだろうか。人類は試されているのである。尤も、その頃には私はこの世に存命していないので、悪しからず(笑)。

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2020年7月29日 (水)

『農家が消える』

2020071817290000  午前中に田んぼと畑の状態をチェックするのみで、日がな一日、体を休めて午睡もする。年齢を重ねて体力も落ちてきているのである。あの世が近くなり、諦念することが多い。農に生まれて農に死ぬ、ということである。
 日本の農業と農山村の衰退が叫ばれて久しい。しかし、無用の長物である自公政権は農協つぶしを公言している。テレビでは、お笑い芸人が「うまい!」「おいしい!」という番組が氾濫しているが、これを見ると、「酷いもんだな」と嘆息するばかりで、空しく机に戻るのが日常化している。農業生産物に対する畏敬が足りないのである。生産する農家への想像力が足りないのである。半世紀ほど前には、「飯だと聞いたら火事より急げ」という諺があって(『信州ちくま 食の風土記』p147)共食が当たり前であり、「食べものを粗末にするとバチがあたる」あるいは「ご飯(米粒)を残したら目が潰れる」と子どもに諭したものであるが、今では金さえあれば商品として購入し、煮て焼いて食おうが勝手である飽食の時代となっている。驚愕すべきは、出荷された食料の三分の一は廃棄されている常態である。消費者は低廉な野菜が高値となったら不平を鳴らし、農家の手間暇への関心はほとんどない。例えば、イネとヒエの識別や野菜の一番果は早期に収穫することは農家の常識である。このように考えると、都会のテレビ芸人ほど罪深い人々はいない。
 1960年には基幹的農業従事者が1200万人だったが、今では200万人を切っている現状を知っているのだろうか。集約された地域農業の技術や伝統野菜品種が継承されていないこともある。農業後継者不足は地力や地域保全とも連関する。自然との共生は地球環境を守ることでもあるのである。また、食糧安保の考えからも、有事には食料輸入は途絶えて食糧危機が到来することすら予想される。私見によれば、農業の担い手不足の中にこそ日本の全ての問題が集約されているのであり、この視点から見るとすべての、そして異常な日本社会が見えてくるのである(参考文献『農家が消える 自然資源経済論からの提言』)。畢竟、農業への軽視と侮蔑である(野坂の農業論も参照。これも)。

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2020年7月21日 (火)

快癒を祈る

2020072108540000  大学時代の親友からの電話で、同級生が術後の経過がよくないとの連絡があった。聖書集会の繋がりである。職業高校からの、推薦入学ではない文字通り精一杯の進学であり、知り合いもなく、かつ貧窮していたのである。なけなしの親からの入学金5万円も支払って、生計すら覚束ない有様で、アルバイトだけが頼みだったのである(新型コロナの影響で困窮学生のことを想う)。だから、同県人の学寮のS先輩が心配してカネを融通してもらったり、日払いのバイトで糊口を凌いていたのである。夏休みに入ると即座にバイト尽くしで、それで授業料(その後のバカ高い授業料など才能を見捨てているとしか思えない自公政府の施策である)や生活費を賄っていたのである。奨学金が入って漸く大学生活が安定してきたのだが、それでも食費と書物の購入などのために、赤貧に甘んじた大学生活であったのである。衣類や履物はボロボロで、みすぼらしい貧乏学生そのもので、女子学生と付き合うことも、大学生活を「エンジョイ」することも、疎遠であったのである。ひとえに学問研究への憧憬があったのだが、それもままならなかったのである。ただ、大学時代は、何の実績もない、論文審査の極右教授を除けば、大いに恵まれたと思っている。
 その同級生は日本史学科の女子学生で、仄聞によれば、長野県送出の満蒙開拓団に関する研究を選択されていたのだという。自分は自分で孤独な闘いで苦悩していたのであるが、彼女は彼女で私的な悩みを吐露していて、大学内の無教会聖書集会において、キリスト信仰に救いを求めていたのだと思う(その聖書集会での原典購読においてコイネーを習得し、今でも新約聖書の冒頭や「主の祈り」を原語で口誦できている)。彼女の卒論選択は、彼女の内なる声に呼応していたのかと今でも思っている。直接話すことは少なかったのだが、お互いに精神的に相似していたのかも知れない。色白の顔色の中にも真剣な眼差しを覚えている。あまり大笑いすることなく、怜悧で内向的な表情が印象的である。その後は、信仰を守って公務員となり、結婚されて二児に恵まれ、定年して病に取りつかれたそうだが、時々、彼女のその後の人生を一顧することがあったのである。どうか病に伏している彼女が心身ともに快癒することを、衷心より願っている。

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2020年7月 2日 (木)

絶望を希望に変えない経済学

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 偶然、昨年のノーベル経済学賞(偽のノーベル賞である)を受賞したという新刊本を図書館で見かけたので手にしたのだが、期待外れだった。表題とタイトルにも違和感を覚えたのだが、全くもって経済学が無力であることが分かった次第である。彼らの経済学は有害無益であるとも言えよう。アマゾンを覘くと、何とビル・ゲイツが「今夏必読の5冊」に選出と推奨しているらしい。こりゃあ、ダメだと思ったものである。著者の結論は、世界の二極化即ち相入れない分裂した世界という認識に立ち、その危機意識は正しいのだが、その解決策が疑わしいのである。世界の二極化は、根本的には欲望に根差した世界的な経済的格差を招来しているのだが、それに対する回答がよい経済学であるというのが間違っているのである。よい経済学はなぜ悪い経済学と闘わないのか。現実の経済は悪い経済学が席巻しているのである。著者もまた、「よい経済学だけで人々を救うことはできない」(p467)との言辞や「経済というものは硬直的である」(p138、465)とも吐露しているのだが、やはり経済学に一縷の望みを抱いているのだろう。著書の基調には、全体的にはヒューマニズム(p467)とアメリカ経済との関わりの中での開発経済学としての立場が一貫しているのであって、結論もまた良心的な落としどころなのである。経済と経済学の成長神話に対する批判はあるものの、それに対する根本的批判はなされていないのである。今や経済学の中心はアメリカであり、アメリカの経済学者がノーベル経済学賞を数々受賞して領導している。そして、彼らの拠点もアメリカであり、MIT(世界一位、二位を争う大学と喧伝されている)のフォード財団支援の教授ということだが、かてて加えてノーベル経済学賞の「栄誉」とゲイツのお墨付きをもらうような学者に何か意味があるのだろうか。とはいうものの、富の集中問題やシリコンバレーのハイテク技術などの言及には多くの示唆を得たことである。
 本日は終日、遅まきながら、黙々と孤独に、梅仕事(梅の甘酢漬けや梅干し作りの前段作業)に関わったのだが、一つ一つの梅を採取してアク抜きした梅を愛おしく確認しながらの作業であり、不足分の赤紫蘇を購入したり、漬物桶を日光浴させたり、田んぼの水位を確認して雑草対策を案じたりで忙殺された一日であったのである。

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2020年6月17日 (水)

民衆の革命戦略

2020061415090000 14日の午前に田植えが終了する。梅雨模様なのだが、昨日から晴れ上がり、植え直しをしなければならない。米作は、米という漢字に象徴されるように、八十八手の手間が必要である。昨年の稲株を畦に寄せて、苗に太陽光を供給する作業や水抜けがない様に畦塗りを補強する作業など、することが多い。一人で行っている以上は、作業の段取りを頭の中で予定しているのである。
 ところで、数日前の信濃毎日新聞で、世論調査の結果でアベ内閣の支持率が2割弱だったことが話題になったのだが、これは至当であろう。全国紙(中央紙)の4割支持という結果は都市ならではの話なのである。未だに自民支持層は地方(田舎)だと勘違いしている人がいるが、むしろ都市の方が多いのである。この事実は議員数とマスメディアの報道を見れば、一目瞭然である(テレビ番組の劣化は甚だしい)。時代の逆行を表示しているのである。
 そのことを指摘する寄稿が、先日信毎でも掲載されていたので瞠目してみた。新型コロナ禍をめぐるアタリの論考である(ちなみに、この寄稿は、ロイター=共同の配信なので、信毎独自のものではない。ETV特集でも町山氏の放送批評はとても参考になる)。そこでは、「命を守る経済」のために、六つの重大な転換が起こると予言されている。J.アタリは、文明批評家としていくつか的中した思想家としても著名である。内容は、既にこのブログ記事の中で何度も指摘したことである(例えば、これなど)。「①距離ーリモートワークの可能性と都市在住の不必要性②生き方-欲望の経済から命を守る経済へ③普遍的利益ー利潤を目的とした資本主義社会から利他社会へ④透明性-情報の独占から民主主義の手段としての情報の透明性へ⑤未来に備えるー将来の脅威を回避するために命を守る経済へ⑥世界の一体性ー市場のグローバル化から道理や正義の民主的グローバル化へ」である。アタリは人々が少しずつ気付きつつあり、やがて民主的に一般化すれば、大いなる展望が開けることを予想しているのである。しかしながら、このような方向転換において、どのような主体と方法が採用されるべきかが明瞭にされていないが、一部暗示はしている。「私たちはあらゆる戦略を用いてあらかじめ敵を知り、戦いを優位に進められよう」と。このことはマスメディアを媒介する人々(都市在住の一部インテリ・知識人・芸人)に期待するべきではなく、民衆の中から個々の思慮の連帯から始めるべきであると了解している。

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2020年6月12日 (金)

尊大な奴隷

2020061117100000  昨日の大雨で県下は入梅となった。調整しながら田に用水をかける。周囲はすっかり田植えを終えていて、静かな里山風景となっている。その季節となれば農民は、例年のルーティンの作業をする。怠け者の自分は、遅ればせながら追随しているばかりである。
 実体経済と異なる株式市場は急落している様である。コロナ禍というショックドクトリンを利用して、新自由主義市場経済は、国家統制と規制の緩和と称して「自由に」市場に委ねることを一応の方針としているのだが、一歩進んで、強欲にも国家財政を大胆に蚕食しているのである。経産省と電2の癒着はその証左である。アメリカの黒人差別抗議運動は、トランプ大統領を直撃して拡大している。死亡したフロイド氏の姪は、「『アメリカを再び偉大に』と言う人がいるが、いつアメリカは偉大だったのか」と訴えている。日米を比較すれば、日本人は尊大な奴隷であると言わねばならない。これほどのアベ政権の失政がありながら倒壊しないのが不思議である。
 近代の終焉と言われて久しいが、近代の人間中心主義は、現代においては、情報通信技術の発達(IT革命)と生命科学の進展によって、社会「変革」と人間改造は飛躍的に増進しているのである。ここにはパラドックスがある。資産家だけが人間であって、それ以外の者を非人間的に管理と統制を強いる体制である。これはM.フーコーが示唆したことである。また、新自由主義思想は何ら民主主義を必要とせず、グローバル化に伴って国民国家を侵食してゆくのである。アメリカの病は解決せずに、抗議運動は人種差別や経済格差問題などで繰り返されて、「アメリカの終焉」(J.アタリ)となるのかも知れない。これは中国も例外ではない。帝国主義国家とスターリン主義国家との対立の中で、世界は多様化しつつ崩壊してゆくのかも知れないが、その先には、非対称な監視された一元的世界システムが現出するのだろうか。それとも、人々が強盗たちを非対称的に強制して共同性を志向してゆくのだろうか。この10年の、2030年代までの民衆の課題と言わねばならない。
 

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2020年5月27日 (水)

アナキストの叫び

2020052710000001 午後、居室で読書しながらつらつらと思っていると、カッコウの鳴き声が響いている。季節が来ると自然はそのように対応している。自然は偉大である。人間とは異なるのである。現代の人間がいかに反自然であることを痛感する。農事とは自然と連関する職業であるが、人間界に生息すると、本当に息が詰まる。午前中に図書館に伺うと、職員に規則を命じられて借り出しができずに帰宅する。徒労だったのである。一事が万事で疲弊困憊してしまうのである。このことはコロナ禍である所為でなく、元々そうだったからである。テレビを視聴すると、愚かなMCやコメンテーターや芸NO人など、呆れ果ててすぐにスイッチをOFFにする。読書しても、愚にもつかない著者ばかりで読む気が湧かない。仕方なく庭に出て野菜の育ち具合を観察する。また、気儘に午睡したりして一日を無為に過ごす。コロナ禍での「新しい生活様式」と命じられてみても、そんなことは自分にとって当たり前であって、むしろどんどん外出したいぐらいである。近年は自宅に閉じこもるのが日常であったからである。自宅か田畑か職場かという「晴耕・雨読・曇勤・雪見」の生活が日常であったからである。外出はおろか、店舗にも滅多に出かけない日常であったから、逆手を取って出かけてみようかなと挑発したいくらいである。政治も経済も生活もバカバカしいことこの上ない。頭がどうかしてしまうのではないかと不安になっているくらいである。政治にまともに取り合っているのもバカ、経済が大事だと言って金の心配をするのもバカ、日本は成功事例と自慢しているのもバカである。人間を脱ぎ捨てたらいいじゃないか。国に奉仕して、社会に貢献し、人類愛に目覚め、意義ある生活を送り、・・・、ああバカバカしい。こんな嘘ばかりで苦し紛れの生活はタクサンだと思えないか。ただの奴隷じゃないか。金子文子は、その尋問調書の中で、「地上は今や権力という悪魔に独占され、蹂躙されている」と暴露し、「現にあるものをぶち壊すのが私の職業です」と死地に赴いている(『狂い咲け、フリーダム』p147,152)。学校で使われる検定済み歴史教科書はでたらめである。はしなくも、それは「戦争と革命の歴史」(権力闘争)となっているが、民衆にとっては何の意味がないのである。だから、NHKの大河ドラマは民衆を慰撫するものでしかないのであり、件の局の、そんな輩(古関)に『エール』も受けたくもないのである。

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2020年5月22日 (金)

帝大と権力志向

2020051617240001  前回の投稿で、検察庁法改悪法案の強行採決であろうという私見(予想)について、誰かと違い、素直にお詫びしたい(笑)。珍しく(?)外れてしまったのである。やはりアベ内閣の無理筋の強行は国民の不評があり、検察当局との暗闘などが絡んで、一旦退却して宿願の憲法改悪へとシフトしたいという狙いがあると思われる。世論の勝利と断じるのは、そうは問屋が卸さないというところであると思う。国家権力は国民を篭絡するには余りにも狡猾であるのは確かと思われる。むしろ、文春は利用されたのではないか。別に、腹黒川にこだわる理由もなく、行く行く賭けマージャンは暴露されると判断されたからに他ならない。「政界は一寸先は闇」という言葉があるが、これはその世界に所属する人間の慨嘆である。庶民からすれば闇ではないのであり、むしろ自分たちの希望なのである。
 賭けマージャンについては、経験者は多いのではないか。ゴルフや(高校)野球やサッカーなど勝負に関わるスポーツではよく行われることであり、検察(権力)への期待も止めにした方がいい。この人たちはグルである。舌鋒鋭いと言われる郷原もゴニョゴニョ、家族ぐるみの付き合いだったという若狭も涙目。新聞メディアもグルであることが判明しているのである。あの大学卒業生は権力志向が極大であり、庶民からしたら、廃校にした方がいい。支配階級の二世、三世のたまり場なのであり、やはり、50年程前の「帝大解体」であったのである。彼らは変り身も早いことも覚えている。
 夕刻、絹サヤの移植中、カッコウの初鳴きを耳にして、田植えの準備を急がねば、という思いである。

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